甲田守の『根こそぎ掘りデー』第10回 前田友里子のオールナイトニッポン(前編)

10月29日(日)。その日は前田友里子さんと一緒に『岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭 in 横浜アリーナ2017』へと行って参りました。
今から遡ること23年、1994年に『ナインティナインのオールナイトニッポン』の放送が始まりました。2014年、20年もの間続いた番組は急遽矢部浩之が降板し終了。そこからパーソナリティーは一人となり『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』がスタートします。
歌謡祭はその番組の1周年を記念して開催され今年で3回目を迎えます。
岡村隆史が歌謡祭??
番組を聴いたことがない方からすれば全く意味わからん企画だと思います。いや聴いていても意味わかりません。
これは、ヘビーリスナーという「信者」のための「定期集会」なのです。うちわネタを楽しむしょうもないイベントなのです。
ただ、そのうちわがどのくらい集まるかと言いますと全国津々浦々から横浜アリーナに約1万2000人。
バカが多すぎる…。
という自分もその中の一人ではあるのですが…。
中学3年生のときです。当時は夜遅くまで受験勉強に勤しんでいたのでしょうか。父から不意に勧められたラジオにがっつりハマります。
水曜深夜は『aikoの@llnightnippon.com』、そして木曜日は前述したナインティナインに。
私のラジオはここから始まりました。
少し逸れてaikoの話に。
木曜は今も続いているわけですが水曜のaikoはいつ担当を終えたのか??ふと疑問が浮かびます。もちろん私はヘビーリスナーでしたので最終回を聴いた記憶はあります。しかしいつかは定かではない。
調べてみますとこの番組は「1999年11月17日から2003年3月26日まで放送されていたラジオ番組」(Wikipediaより引用)と出てくる。
ハッとなりました。というのもこの期間というのは私の人生のどん底期とほぼ一致していることに気付いたからです。
正確に申しますと私がこの番組を聴き始めたのが2000年12月頃、つまりは中学3年生の時分です。問題はこの頃ではなく翌年の2001年から2003年の3月、自分が高校に入学してから3年生に進級するまでのこの期間です。
どん底期…。
またまたハッとなりました。
このaikoの番組の最後の決まり文句を思い出したのです。
「笑うのが苦手な人、人ごみが苦手な人、会社が苦手な人、学校が苦手な人、明日も良い日でありますように」
会社が苦手な人を除く全てに当てはまっていたのである、当時の自分は。
深夜3時、明日も良い日でありますようにを聴いて床に就く私に良い日が訪れることはなかった。
学校に向かって自転車を漕ぐ私。今日こそは良い日に今日こそは良い日にと心の中で幾度となく呟くがいつの間にか針路は大きく外れていく。気づけば私はパチンコ屋の中にいた。

昼はパチンコ夜はバイト更けてラジオに辿り着く

生涯において忘れられない日々にそして糧になりましょう。

さて歌謡祭。
前田氏と合流しいざ横浜アリーナへ。
道中はラジオトークに花が咲きます。
歌謡祭はヘビーリスナーの定期集会であるわけですから当然のことながら前田氏もヘビーリスナーです(私が今までに出会ったヘビーリスナーは3人。1人は予備校で知り合った浪人生、2人目は大学でのお笑いサークルの後輩、そして3人目が前田氏です)。
まずはウォーミングアップでもと本日の出演者である鈴木健介さんについてのトークをさらいます。
「岡村さん芸大受験での失敗」と「バイト先のコンビニに元カノ現る」は欠かすことはできませんのでとりあえず押さえておきます。
今日はやはりグッドファーザーも来ているのだろうか?希望も何もないも!?オーシャンも!?ウォォォォッッーー!!!
どうでしょう、これがヘビーリスナーです。気持ち悪いでしょう??
さすがに気持ち悪いは前田氏に悪いので私が一手に引き受けることと致します。
そうこうしているうちに会場が見えてまいりました。
驚くばかりの人、人、人!
全国からかなりの数のヘビーリスナーが集まっているようです。
ラジオの力恐るべしです。
私はコンサートやフェスの類にはそれほど行った経験がありませんでしたので横浜アリーナのあまりの広さにまずは圧倒されました。
そして恥ずかしながら横浜アリーナを屋外施設だと思っていた私は悪天に備えてばっちり雨具を用意しておりました。その日は台風が近づいておりましたので暴風雨に晒されながら見るのを覚悟していたのであります。
1万数千人を収容できるこの会場は3階席まであります。抽選で良い席が当たったと予め聞いてはおりましたが前田氏が用意してくれたチケットはなんと1階席でした。
ビールを飲みきらないと客席には入られないようなので私が先に行って席を探すことに。
前田氏は開演前にガソリン補給です。
あれっ?そう言えば自分は飲まないで相方だけがビールのパターンはどこかであったような…。
そうだ!ゆかちんだー!
詳しくはコチラをどうぞ。
1階席といいましてもかなりの席数です。座席番号をチケットと照らし合わせて探しているのですがなかなか見当たらない。
あった!ここか!
ふと見上げるとステージが目の前に。
ここは1万数千人を収容できる横浜アリーナのはずです。しかし私たちは信じられないことに新宿シアター・ミラクルに迷い込んだようです。
前田氏も席に着きちょうどいい頃合い。
定刻開演です。
「おっかむら!」
「おっかむら!」
「おっかむら!」
「おっかむら!」
続きます。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第9回 姜ちゃんとそのパートナー(甲田守の関西弁講座)

「方言指導の甲田さんです。」
「よろしくお願いします。」
たくさんの人達の中で紹介されるのは気恥ずかしいものです。
『方言指導』の初日は飯田橋のとある飲食店から始まりました。
前の撮影が押しており集合時刻は20時半に変更、現地に到着すると周辺には何台もの車両が停車しておりました。店内では色々と準備が始まっているようです。私は制作スタッフとの挨拶を済ませ用意が整うまでバスでの待機を命じられます。私が方言指導を行う役者さんはどうやらまだ現場には来られていないようです。
本日撮影するのは全部で2シーン。出演者2人がお店に入るまでが1つと店内でが1つ。お店の中では店員役もいらっしゃいますので出演する役者は合わせて3人ですがシーンのメインは2人です。
1人は私が担当する平沼さんでもう1人が成海さん。数日の間ですが『方言指導』はこのお二方の共演を追っていくことになります。
事前に手渡されていた台本を車内にて復習していたところ平沼さんが現場に到着したようです。いよいよ『方言指導』が始まります。
自己紹介も兼ねまして平沼さんには私の実力を包み隠さず披瀝することにしました。というのも初めての『方言指導』は幾分不安だったからであります。自分には方言指導の経験がないということ、大阪出身ではありますが2005年からは千葉に移住したためそこからは関西弁のアップデートがされておらずバージョンがやや古めだということを正直に打ち明けました。
平沼さんは関西弁に対して真摯でした。そして私を信じてくれました。上に述べたことは方言指導に自信がない私のエクスキューズが含まれている、私はもっと自信を持ってもいいのです、そう思わせるには十分なほど平沼さんは私を信頼してくれたのであります。みっちり細かく丁寧に関西弁の方言指導を行っていきます。
撮影の序盤はやはり関係性が上記のようには成り立っておりませんでしたので上手くいかない箇所も散見されましたが終わりにかけては良い状態を築き上げることができたのではないかと思っております。
さて、関西弁についてですが、私は今まで関西出身ではない方が関西弁を話すのはほぼ不可能だと思っておりました。映画やテレビドラマ、漫画についても関西弁は多くが誇張されて使われています。意図的ならまだしもおそらくそうではないものが大半でしょう。確かに一朝一夕で身につくものではないですが、完璧とはいかないまでもあるポイントさえ押さえればそこそこの『関西人』になれるのではないか。今回の経験を通して私はそう思うようになりました。
先にも述べましたが狙ってるなり意識的ならまだしも無意識に誇張された関西弁が創作物で目につきます。
私が思うに創作中の『関西人』が無理に関西弁だけを使う必要はないと思うのです。ときに関西弁を使い、ときに標準語も使う。そうすれば、はい簡単『関西人』の一丁上がりです。
まずいのはチャンポンした(?)『似非関西弁』を使うことです。これは実際に存在する関西人が使うことはまずあり得ない、と私は思います。なので使ったら瞬時に関西人にそれがバレます。バレるならまだしも萎えることもしばしばです。
要は関西弁は使うなら使う、使わないなら使わないとキッチリした使い分けが大事なのです。ワンセンテンスに混ぜ込まなければ大丈夫!
とは書いてみたもののはてさて的を射ているのか…。門外漢の戯言に過ぎないのではないか…。
いずれにせよこの『似非関西弁』さえ外せばもうあなたは『関西人』!
えっ?それができたら苦労しないって?
まあまあそう仰らずに。
品詞のアクセントを一つ一つ丁寧に押さえていけばそれは容易に防げるはず。千里の道も一歩からです。
さて実際に指導に当たるわけですが果たしてどのように行えばよいのか。
関西弁に限らず指導自体の経験に乏しい私はそこにまず戸惑いました。(上で述べた関西弁についてのうんたらかんたらは全てを終えてからの感想でありますので順序が相前後しますがそこはどうかお許しいただきたい。)
まずは役者さんに該当箇所を読んでいただき徐々に徐々に細かいところを修正していきます。間違っているであろう部分を私が読み直し、あとから倣って読んでいただくことにしました。
初めから一発でできるところもあれば何度読んでもなかなかできないところがでてくる。
この差は関西出身の私からすればわからないところですが、そして一般的に標準語を使う方全てに当てはまるのかもわかりませんが、どうやら難所が存在するようで指導する側としてはやり甲斐があって興味深いです。
関西弁や方言についてはマイノリティの視点等を交えてまだまだ語りたいところではありますが(もちろんこの撮影についてもですが)今回はこんなところで筆を擱くことに致します。
そして次回のテーマはズバリこちら!
『地方のフタ〜躍動する関西弁、方言としての地図、その変遷〜』です。
どうぞご期待ください。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

 

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第9回 姜ちゃんとそのパートナー。

「こ〜だくぅ〜ん、いまなにしてんのぉ〜〜」
高校から何一つ変わっていない彼女の喋り方に僕は驚きを隠せませんでした。
姜ちゃんはみんなからはよく『天然』と呼ばれていました。
おっとりとしていてのんびり屋、間延びしたその口調はふわふわふわふわゆ〜らゆら、まるで空を飛んでいるかのようです。
「あのなぁ〜、うちのダンナがなぁ〜、なんか〜関西弁しゃべれる人さがしとってぇ〜、こ〜だくん演劇やってんねんやんなぁ〜、なんかやってくれへんかなぁ〜とおもってぇ〜連絡してみてんけど〜」
「ええよ」
「ええ〜ほんまに〜ありがと〜、こ〜だくんほんまひさしぶりやなぁ〜こ〜だくんいまなにやってんの〜〜??」
「演劇」
「ああそうなんやぁ〜演劇やってんねやぁ〜うちのだんなもなんかそういうかんけいやからこ〜だくんに連絡してんけどああそうなんやぁ〜演劇やってんねやぁ〜、ええ〜こ〜だくんいまどこにおんの〜」
「東京」
「ああそうなんやぁ〜とうきょうなんやぁ〜うちのだんなまだ帰ってきてへんねんごめんなぁ〜ほんまこ〜だくんひさしぶりやなぁ〜ええ〜こ〜だくんいまなにやってんの〜」
「演劇」
「ああそうなんやぁ〜えんげきやってんねや〜ほんまひさしぶりやなぁ〜あのなぁ〜…………」
おっとり美人の姜ちゃんは今は空港で働いているそうだ。地に足はしっかりとついている…。
姜ちゃんのパートナーは映画の専門学校へ通っていたとの情報は風の便りで聞いている。
ドラマの撮影にあたって関西弁の方言指導をできるものはいないか?
そこに白羽の矢が立ったのが私?で果たしていいのか…。
打ち合わせは『そして怒濤の伏線回収』の休演日である9月19日に行われました。わたくしの家で。
午前11時、脚本を携えて姜ちゃんのパートナーがわが家に到着です。
「今回は急な依頼にもかかわらず引き受けて下さりどうもありがとうございます。では早速ですが台本を読みましょうか。」
前日にデータを送って頂いておりましたので該当箇所はしっかりと予習済みです。
読みと同時に音声も録りました。
「さすが!やっぱりいいですね!」
褒められる。嬉しい。
ので調子にのる。
「ここは『いい』より『ええ』のほうがええですな。」
初対面なのにいきなり脚本へのダメ出し、そしてそれが受け入れられる柔軟さ。打ち合わせ後はご飯までご馳走になる好待遇です。
現場では私は一体どのような立場に置かれるのでしょうか。行ってみなければわかりませんね。とりあえず自宅で練習しておこう。
「それちゃうちゃうちゃうん?」
「ちゃうちゃう、ちゃうちゃうちゃうって。」
「いやちゃうちゃうちゃうゆわれてもちゃうちゃうやろ?」
「ちゃうちゃうちゃうちゃう、ちゃうちゃうちゃうってゆうてるやん。」

うん、オレめちゃめちゃイケてるやん!
ほな気張って行こかと。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第8回 淺越岳人と行く電器屋。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

淺越岳人と電器屋さんへ行ってきました。劇場入りしてからパソコンとプロジェクターを繋ぐ変換ケーブルが急遽必要となり買い出しに出掛けることとなりました。当初は彼が一人で行く予定だったのですが嬉しいことに手持ち無沙汰の私を彼が誘ってくれたのです。私が一緒に行ったところで正直言って何も役に立たない。求められているものが何なのか私にはさっぱりだからです。にもかかわらず私を誘ってくれました。
淺越岳人と私は大学の同級生です。付き合いはかれこれ12年近くになりましょうか。初対面ではどのような挨拶を交わしたのだろう。全くもって覚えていません。映画サークルを通じて知り合ったのですが映画の話題について意気投合したかと言えばそうではなく、共通の話題で盛り上がったのかと言えばこれまたそうではなく、じゃあなんとなく馬が合ったんだねと問われればまたまた答えに窮します。それでも彼と私の間には12年の歳月が流れている。電器屋にはまだまだ着く気配すらない。彼との付き合いは長くなりそうだ。
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甲田守の『根こそぎ掘りデー』第7回 塩原さんとタコ焼き

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

先日はアガリスクエンターテイメントの前田友里子さんが出演する舞台『おやすみ また 明日 愛してるよ』を観に行ってきました。終演後、劇場を後にしようとしたところ、ふと横を見るとアガリスクエンターテイメントの塩原俊之さんと目が合いました。どうやら同じ回を見に来ていたようです。一言ぐらい挨拶すべきでしたが気づかぬふりをしてそそくさと帰ってしまいました。知り合いが出演している舞台はすぐ帰りたくなるのが私です。出演者とはあまり顔を合わせたくないのです。というのも感想等を聞かれても何と答えていいのかまごつきますし、そもそも観劇中はうつらうつらすることも多くまともに見ておりません。今回も例に漏れずタイトルのように『おやすみ』状態が無きにしもあらず。私は真っ暗になるとすぐ寝てしまいます。そして明かりがつけば目が覚めて一目散に帰る、というわけです。帰路の途中、そんな私に塩原さんからの連絡が入ります。お茶でもしないか、とのことでしたが既にその時自宅付近にいましたので断ることにしました。いつもだったらそれで終わるのですが何を思ったのか塩原さんを家に招いてみようと思いました。それが結果的にとても良かった。新しい家に引っ越ししてからはほんの少しですが自信を持つことができるようになりました。塩原さんの提案により家でタコ焼きを作ることになりました。まずは材料の買い出しに向かいます。塩原さんはやはり手慣れたもので私の家にないものを尋ねながらテキパキと買い物をこなします。調味料などの足りないものは自宅から調達までしてくれまして本当に助かりました。私の家に着きまして早速調理に取り掛かります。基本的には塩原さんに任せれば何とかなると高をくくっていた私です。いつの間にか雑然としていたテーブル上の本などをきれいに片付けてくれております。こっちで材料切るからそっちは粉つくっといて、と塩原さんは指示も適確です。どんどん切ってくれる塩原さんですがその食材を入れる食器が我が家にはあまり数がないことに気づきます。なんとか見つけた食器ですが何とも汚い。私は必死で洗いましたがそれでもそこそこ汚い。そして塩原さんを驚かせたことは私の家には洗剤がなく石鹸もなく全てを水だけで洗っているということです。塩原さんは笑いながら不承不承ですが食器を使用することに納得してくれた様子です。塩原さんと一緒に料理するのが楽しかったからか私はキッチンで作業しつつ何かあればいちいち塩原さんに話しかけます。うるせーなで笑って返してくれる塩原さんですがここでつと思います。今はギリギリ笑ってくれますがこれも程度が過ぎればいつ怒りに変わるかわかりません。アガリスクエンターテイメントの場でも私の振る舞いは笑いになることがありますがこれも同じく怒りとは常に隣り合わせとよく思います。一回こっきりの共同作業だから笑いにもなりますがこれが常時となるとどうなるかは容易に想像できます。果てしなく怒られてばかりのケンカが続くのでしょう。それを考えると自分にはパートナーを持つのは程遠いなと少し落胆します。隣の部屋では塩原さんが刃こぼれの激しいギザギザ包丁で食材を切っております。まるでノコギリのようだな、と塩原さん。切り替えましてタコ焼き作りに勤しみます。塩原さんは自宅からソースやマヨネーズ、さらには漬け込んだチーズまで持ってきて下さりこれがタコ焼きと非常に合います。ちょっとした工夫で料理はひとあじもふたあじも美味しくなります。大阪出身の私ですが塩原さんの方が遥かにタコ焼きについて知っています。タコ焼きのみならず最近はよく大阪に行かれるようでその地理についても詳しい。塩原さんの訪れるところは地元の人も驚きのディープなところが多いです。造幣局の桜の通り抜けなどの季節限定のところも訪れています。塩原さんは目の付け所がいいと私は思いました。そして大阪について自身でつぶさに見た目で肯定的に評価してくれるところがとても嬉しい。私は大阪出身者ながら大阪について否定的に捉えることが多いのですがなんだかんだ大阪のことが好きなのかこうやって塩原さんにいいふうに言ってもらえるととても嬉しくなります。大阪にとどまらず塩原さんの批評はとても肯定的で良いところを見つけてくれます。映画や演劇、漫画などについても塩原さんの語りは聞いていて面白いです。このようなジャンルももちろん詳しいのですがさらに塩原さんは野球を中心とするスポーツにも詳しく、さらにさらにバイクや車、地図にも詳しいところが私の興味と合いまして話も盛り上がります。私が最近原付に乗るようになったからか漸く塩原さんのフィールドに入り込むことができるようになりました。バイクもそうなのですが私は道が好きなのでこれについて話すのはとても楽しい。おそらく塩原さんは東京千葉のみならず高速道路にのって全国あちこちに出かけているのでいつかはこの辺の話にもついていけたらいいなと思います。途中からは前田さんも参入し三人で銭湯へ行きました。前田さんとのホリデーはまた後日に譲ることにします。

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甲田守の『根こそぎ掘りデー』第6回 同級生マサユキと。

先日は高校の同級生マサユキと久しぶりに会いました。どうやら大阪から東京へと遊びに来たようです。前日の夜に連絡が入りました。

『こうだ、明日の夜って空いてる?空いてたら飲みに行かん?』

高校の同級生は僕のことをもちろんのことながらネコソギとは呼ばず多くはこうだと呼びます。

前日連絡はマサユキにしたら早い方で基本的には当日に来ます。実にマサユキらしいです。

それでは行って来ます。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。



マサユキとは2年3年のときに同じクラスでした。当時はそこまで仲が良かったかというとどうなのでしょうか。3年の途中から浪人時代にかけてよく遊ぶようになったかなという印象です。

第一印象はあまりよろしくなかった…。1年のとき、クラスは違えど体育の授業は隣のクラスということで一緒に受けていたため目にすることはありました。ある日のこと、体育の授業が始まる前の休み時間に男子の何人かが前宙をしていました。僕はもちろんそんなことはできないですし輪にも入れないため皮肉な目で奴らを見ておりました。このクソ馬鹿どもが!アホちゃうか調子にのりやがって!

高校の時分、僕は病んでいた。

「高校のときって青春だったよねー!」「高校生にまた戻りたいよねー!」

はぁ?黙れこのクソ野郎どもがー!こちとら青春なんかこれっぽっちもなかったんじゃー!

なのでそのような話には全くもって賛同できない。

というのは言い過ぎで話は休憩時間の柔道場へと戻る。

それは突然の出来事だった。前宙に興じていたクソ野郎どもがザワザワと騒ぎ出したのである。

どうやら誰かがケガをしたようだ。僕の呪詛が効いてしまったのか。ハッハッハッ!

「大丈夫かマサユキー!」「これ早く病院行かなヤバイでー!」「先生呼ぼー!」

呪詛が効きすぎたのかマサユキなる人物は前歯が数本折れてしまったようだ。これからは呪詛を控えることにしよう。

1年の春、マサユキとの出会い編終了。続く。

3年の春、体育祭の季節。

堕ちるところまで堕ちたジュソソギこと甲田に復活の兆しが現れる。

1年2年と特に体育祭に深く関わってはいなかったのだが3年になり周りからの勧めで応援団に入ることになる。

応援団??ウチの高校では応援はダンスで行う。カッコいいダンスとカッコいい手作りの衣装。学年の縦割りで構成される応援団は3年にもなれば後輩からもてはやされる。

これでオレもクソ野郎どもの仲間入りってなわけか。ケッ!

そうは問屋が卸さない。お前がそんな一朝一夕で応援団に馴染めようか。ダンスをそう易々と覚えることができようか。キャリアがないお前には到底無理と言えよう。

黙々と練習、黙々と練習。応援団の練習は昼休みは学校の渡り廊下で夜は公園でと連日連夜行われる。

午後10時過ぎ、今日も練習が終わった。さて帰ることとしよう。

「こうだ!帰り道こっちやろ、一緒に帰ろや!」

来た。クソ野郎が。

一人で帰らせろや、このクソ野郎が。

ここで声をかけてきたのは後に甲田が加入することになるフットサルチーム『ONACK』のキャプテン、コロッケである。

10年後、このクソ野郎の結婚披露パーティーの司会を務めることになろうとは、このときの甲田は知る由もなかった。続く。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第5回 南台ハイツ死ね2 最後の来訪者

世田谷区民になりました。

大阪市平野区(0〜19歳)、千葉市稲毛区(19〜23歳)、東京都中野区(23〜32歳)、東京都世田谷区(32〜?歳)。

住む家が変わると何だか色々と自分も変わります。と思います。

自分でも信じられないことに今の引越した家には多くの人を招いております。暮らしてから未だ1ヶ月も経っていないにもかかわらずです。

稲毛区〜中野区で過ごした約12年もの間に家に人を呼べたことがありましょうか。全くないとは言いませんがその人数は合わせてもこの1ヶ月に及ぶかどうか。

相変わらず風呂はないですしみすぼらしい我が家です。が、変な自信がついたのです。かもしれません。

まずは引越しを手伝ってもらったのがやはり良かった。

大阪から千葉に引越してきたときは親元を離れる初めての一人暮らしだったわけですから部屋を決めたのも父と一緒にでした。けれど引越し作業は千葉の新居で一人で行ったように記憶しています。

そして大学を卒業してからの2度目の引越し。これが本当によろしくなかった。と、8年前の出来事を今更に反省です。

アガリスクエンターテイメントの方々や大学の友人知人にも一言も発さず、誰にも別れの挨拶なく独りで東京へと向かったのです。

引越しを手伝ってもらうのに8年かかりました。

本当のところ8年経っても何も変わらず当初は全ての工程を一人で行う予定でした。自動車免許は持っているもののペーパードライバーのため運転には自信がありません。なので台車を使って運ぶという荒技です。そこまで遠くはないので何往復かすればなんとかなるだろうと。

しかし難敵が現れた。冷蔵庫です。どうしても独りでは2階から降ろすことができない。困った。本当に困った。

そこで登場していただいたのがユキ劇団員。彼女を頼った。

17時過ぎ、ユキ劇団員が笹塚に到着。マエダ劇団員からもらったというオーバーオール姿。作業するにはうってつけの服装である。

コウダは独りで引越し作業中だったため遅れて笹塚で合流する。とりあえず駅前にある図書館へと予約していた本を取りに行く。もちろんユキ劇団員にも来てもらった。

本日の工程をユキ劇団員に説明する。

1.冷蔵庫を南台ハイツ202から降ろす。
2.冷蔵庫を新居まで台車を使って運ぶ(約30分の道のり)
3.冷蔵庫を新居の2階に上げる。

以上となります。

それでは早速南台ハイツに向かいましょうか。

笹塚から歩くこと10分、東京都中野区南台4-65-7南台ハイツに到着です。

ユキ劇団員は沢山の荷物を抱えていたため、一旦南台ハイツに荷物を置くことにしました。

さてこの冷蔵庫どう降ろしたらいいものか。

ユキ劇団員と作戦を練ります。

うーん…………。

試しに二人で持ち上げてみるがどうも上手くいかない。

一段ずつ着実に降ろすことにしました。

ドスン!ドスン!ドスン!ドスン!

降りるごとに南台ハイツに激しい音が響き渡ります。

降りるというかもうほぼ「落としている」という感覚です。

これをスーパーマリオのキャラクターから取ってドッスン方式と名付けましょう。

地上へと降ろしてふと階段を振り返るともう踏み板がボロボロ。ひびとか入ってるんだなこれが。

まあ取り壊しになるからいっか。いやいいのかこれで…。

新居に向かいましょう!

台車に載せてスーイスイ、これは大した作業ではありません。ただ道のりは30分と結構長い。

一人で運ぶとそこそこの時間を感じましたが今回はユキ劇団員と話しながらの道中だったのであっという間でした。

新居に到着。

またもドッスン方式でいくのか。しかし新居は南台ハイツと違って多くの方が住んでいる。いや、住んでいるいないの問題ではなく僕だけでもドッスン方式はまずいが…。

だが僕たちにはドッスン方式しか手はないのだ。

「落とす」とは違い、上げるときにはそこまでの負荷が階段にかかることはなかった。そうだ、ドッスンも上に戻るときはゆっくりではないか。

やりました。無事に冷蔵庫を運びきることができました。ユキ劇団員お疲れ様です。

作業が一段落しましたので新居にて休憩を取ることにしました。

ようやく座ることが出来ます。「座っている」はやはり落ち着くものです。そして体育座りに限ります。

ムムムッ!?しかしどうも収まりがよくない。なぜだ?普段とは違う気配を感じる。

ふと横を見ると私より遥かに熟達した「座っている」がそこにはいた。

足を開いて寛いでいやがる…。

お主、やるな!

ワシが長年かけて習得した「座っている」を一つ上の段階へと持っていきやがった。これではワシの立つ瀬がないではないかー。なので座る。

けれども座ってばかりもいられない。

緊急『根こそぎ掘りデー』スタートです。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。


「ユキちゃん、ホタル観にいこう。」


 

 

 

 

 

 

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第5回  南台ハイツ死ね

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

漸く引越しが完了した。

何でこんな部屋に住んでいたのか。片付け終わった住処を見てウンザリする。

8年ですよ、8年。ここ南台ハイツに越して来て8年。正確に記すなら東京都中野区南台4-65-7南台ハイツ203号室に越して来て8年。いやはや本当にこの東京都中野区南台4-65-7南台ハイツは凄いところだった。

住んでいた時は何も気づかなかったのだが新居に越してから気付く。南台ハイツのダメなところに。

南台ハイツ。風通し❌、日当たり❌、もちろん風呂なしでそして住んでいるのは自分だけ。203しか埋まっていない。

結局引越ししたのも南台ハイツが取り壊されることになるからで、いやあんなところは取り壊さなきゃいかん、早急にぶっ壊せ!

自分の住み方に問題がなかったとは言えない。汚い暮らしぶりをしていたことは否定しません。それでもやはりあそこはキツイわ。南台ハイツはキツイ、キツすぎる。

8年よくぞ耐えた。あそこがヤバいところだと気づけなかった自分は完全に麻痺していたと言える。

8年間とんでもないやつと付き合っていたわけだ。南台ハイツは化け物、地獄、絶望、死死死…。

生きててよかった。本当に良かった。

32年間生きてきましたが衣食住の『住』の大切さに気づきました。

ハウジングファーストっていう考え方があってほんと住むところっていうのは大事だよ。

悲しいかな、住むところが劣悪になって路上生活になればなかなか元の状態には戻って来られない。


自己責任の一言で片付けるなよクソが!

というわけでなんだかまとまりがないが、住むところはあったもののクソな家と別れれてクソすっきりしたわ、このクソ南台ハイツが!ってな感じです。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第4回 「 クエンティン・タランティーノ、ポール・バーホーベン 、小野光洋ですよ」

頗る体調が悪い。新宿コントレックスVol.16が終わってからというもの、どうも優れない日々が続く。珍しくもまず喉がやられた。連日の暑さで夏バテも加わる。横になってもなかなか回復の兆しは見えない。見えなかったのだが、前々回掘りデーしたコアラさんに相談したところ、どうやら今現在暮らすこの家に問題があることに気づかされた。外より熱いこの部屋で休んだところで体調が良くなるはずはないのである。昼でも電気を点けなければならないこの部屋の風通しは最悪。今回掘りデーしたこの男ならここのことをこう名付けるだろう、『絶望部屋』と。
それでは参りましょうか、甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです!

 

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

 

午前8時半出発。集合時刻がだいたいが10時か10時半(早い時は9時もあるが)なのでこれぐらいで間に合う。電車で約1時間半、長い道のりです。

道中決まって読むのは前日もしくは当日に送られてくる脚本。分量はその日の撮影分のみ。クランクイン時に脱稿していることは100パーセントありません。

今日の撮影のロケ地はどこか。おそらく千葉大学西千葉キャンパス内がワンシーン、いや数シーン含まれることは容易に想像できる。

集合場所は千葉大学西千葉キャンパスのとある部室。サークル会館というこの古ぼけた建物の一階にその部屋はある。今までに幾度訪れたことか。また今日も小野映画の撮影が始まる。

小野映画自体が始まったのは遡ること三十数年前の1980年代。小野監督高校生の時分である。
ここで「監督」にならなければ…。

1985年千葉大学入学。僕が生まれた年に監督はあの部屋に入室していたのだろう。
ぞっとしますね。

本日クランクインする映画のタイトルは『さよならミケ(仮)』。部室によく来訪していた猫、ミケの追悼映画となります。僕が在学していた頃もよくミケは部室に来ていました。動物が苦手だった僕ですがミケはそんな僕にも良く懐いてくれて非常に嬉しかったのでした。

部室に到着。その部の名称、いやサークルの名称はCinemount Film Party、千葉大を拠点にする自主映画サークルです。

「おはようございまーす」

お久しぶりです、というわけでもなく上映会やら何なりで2ヶ月に一回はお会いするという頻度。まあ結構久しぶりとも言える。

さっそく本日分の脚本が手渡される、データではなく紙で。

本日の出演者は僕と部員の横山くんの2人です。ロケ地は案の定大学構内、と西千葉公園。

「小野さーん、ワンパターンですよー!」

「いや、大学は自分のスタジオみたいなものだから」

おおぅ、スタジオときたか。この方にとってはスタジオみたいなものか。確かに小野さんよりここを知り抜いている人はいない。

横山くんが部室に到着しました。それでは第1のロケ地工学部棟の方に向かうことと致しましょう。

室内撮影ですので照明が必要です。2灯持っていきましょう。あとマイクを入れてと。そしてもちろんカメラですね。今日も潤沢なスタッフを従えて撮影ができるなんてまるで夢のよう。よいしょ、よいしょ、どっこしいょ。小野さん、こんなに機材自転車に載りますか、そんなに持って大丈夫ですか、まぁスタッフが潤沢だから仕方がないか、横山くんも大変そう、さあ現地に向かうぞー、あっ、カゴがとれそう…。

工学部棟到着。撮影場所のすぐ横では授業が進行している。のでここでの撮影は中止。まさかこんな初っ端から頓挫してしまうとは、うわぁ参った、もうこのシーンは今日は撮れないよぅ〜、などとは小野監督の頭には浮かぶはずもない。現場で何がおころうと撮る!場所が使えなかったら?場所を変えて撮る!いやけどさすがにキャストが来なかったら無理ですよね〜?脚本変えて撮る!

撮る!撮る!撮る!

呼吸をするように映画を撮る!

比喩でも何でもないんだ。この人は映画を撮らなければ死んでしまうのです。

ああ、恐ろしい人と出会ってしまった…。

ああ、面白い人と出会ってしまった…。

ここでアガリスクエンターテイメントと小野さんの関係を少し挿入。

小野さんは文章を書く。映評から劇評はもちろんのこと恋愛譚?は赤裸々に誹謗中傷は果て知らず。巧みな文を綴ります。映評、劇評は基本的には辛口です(他の人が甘口過ぎるのかもしれませんが…)。そこがとてもいいのです。で、そんな小野さんですがアガリスクエンターテイメント劇団員の淺越岳人がCinemount Film Partyにも在籍していた関係でアガリスク初期の作品を多く観劇している。もしかしたら旗揚げ公演も観ているのかもしれない。『ナイゲン』の初演ももちろん観ているわけでこんな劇評を小野さんは残しているのだ。あげてみよう。

「十二人の優しい日本人」を思わせるディスカッション・コメディー。
‘会議は踊る’のパターンの群像劇だ。
どうでもいい問題の重箱の隅をネチネチつついたり、規約にあまりに忠実すぎたりするバカバカしさ。

脚本がなかなかよくできている。笑うべきところで笑える。
‘民主主義’や‘法令遵守’に対するアイロニカルな視点が効いている。
それでいて、‘三人集まれば文殊の知恵’的に、肯定的視点でしめくくるのも的を得ている。
「会議」には、いい面も悪い面もあるのだ。

一方で無駄と思える展開もそこかしこに見受けられ、正直上演時間2時間は長い。
せっかくだから、脚本を換骨奪胎し、演技面の練度も上げて、再演に挑んではどうだろう。
なんだかもったいない。

それにしても、高校時代は文化祭に意味なく燃えたものだ。
あの頃は、何でも楽しんでやろうという気概に溢れていた。
そんなことも思い出させてくれる芝居だった。
(自主映画監督 小野光洋)

さらに小野さんについて知りたい方はこちらのモリエンテスラジオをどうぞ。
今回のブログのタイトルは淺越岳人の発言より拝借致しました。必聴です。

さらにさらに知りたい方は上映会へ是非とも足をお運びください。

【Cinemount Film Party第57回定期上映会】

8/11(山の日)14:00~。年に2回開催するシネマウント主催の単独上映会。4~8月に完成した全作品(10本前後)を上映します。会場は東京・町屋の「ムーブ町屋」。
入場無料。途中入退場自由。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第3回 熊谷有芳と行く久しぶりの野球観戦。(後編)

彼女はとても聡明な方です。そこが僕の、彼女の好きなところです。

ロッテファンである彼女はチケットの手配も慣れたものであるからして僕が入る余地はありません。待ち合わせの時間、場所はもちろんのこと、ひいてはおやつは300円までですよー、とまで決めてくれる…かもしれない…。

実際には、スタジアム内での飲食物は高いので予め持って行った方がいいよー、との情報を事前にくれている。心配りが行き届いているのだ。

普段は待ち合わせに遅刻することもない僕ですが、あまりの安心感からかいくらか時間を過ぎてしまった。スタジアムに向かう人波にのまれたせいもありますが…。

思った通り、彼女はすでに待っていた。彼女も普段から待ち合わせにはあまり遅れることがない人である。そこもまた僕の、彼女の好きなところです。

自転車に跨ってすでにロッテのユニフォームを着込んでいる勇ましい姿の彼女。帽子を横ちょに被ればまた様になるのが彼女である。

ユニフォームは自分の分だけ?そんなエゴイスティックな人物像を彼女に描いてはならない。そして当然ながらこの場面において自分だけユニフォームを着用していることは全くエゴイスティックには当たらない。ここで僕の分まで余分に用意していることの方がアンビリーバブルな事態なのだ。

しかし彼女にとってはこれがノーマル。そして合流した時点では僕にユニフォームは手渡されない。スタジアムに入ってこれここぞの瞬間にユニフォームの着用を促される。もちろん強要ではない。試合を一緒に楽しみませんか、との一見さんにも優しいアプローチなのである。

考えてみればこのユニフォームは本日の衣装だ。そして彼女はアガリスクエンターテイメントの衣装担当なのだ。

みなさん、アガリスクエンターテイメントの衣装を舐めるでないぞよ!それでは甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです。


甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?
休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。


彼女はとても聡明な方です。そしてビールがとても好き。

スタジアム内に缶を持ち込むことはできないようなので、入り口にて事前に買っておいたビールを紙コップへと注ぎかえます。


泡が立ってなかなかに苦戦している様子。なんでも卒なくこなす彼女にも苦手なことはあるようです。

試合が始まるまでまだ時間に余裕がありますのでスタジアム内をぐるーっと回ることにしました。

先導する彼女は頼もしく、各所を案内してくれます。

話は逸れるのですが、僕は学問を大いに信頼しているところがあり、彼女の聡明さはそこのところで自分と相通ずるところがあるのかもしれません。

具体的にそのような学問について話題に上がることはありませんでしたが、彼女は大学では演劇を専攻していたとのことなので、いつかはそんな話にトライできたらまた彼女の世界に一歩踏み込むことができるのかもしれません。

トライと書きましたが彼女はおそらく英語も堪能なように思われる。あくまで今は思われるという段階でなかなか彼女もその本領を明かしてはくれない。能ある鷹は爪を隠す、というやつだ。

彼女の横に座る。観戦する。

僕はあまり野球に精通しているわけではない。ルールぐらいならある程度は知っているが選手やチームについての知識はからっきしである。

彼女はファンであるロッテに限らず対戦相手の楽天のことにも詳しい。何でも知っている。

僕は結構うるさかった。気になったことは色々と喋っては聞いてしまう。それは少し一方的であったかもしれない。

ロッテファンである彼女からしてみれば、またロッテ戦を観に来て欲しい、スタジアムに来て欲しいとの想いが強くなるのは当然であろう。けれど、彼女の会話はファンの立場の一方通行からは距離を取ることもできるから好ましい。

端的に言って彼女は聞くのが上手い。

僕の知的好奇心に適度に応えてくれるのでこちらとしては快適なことこの上ない。

試合に夢中になるに連れて僕は、必然的に彼女にも夢中になっていくのである。


この日は残念ながらロッテは負けた。だから彼女と一緒に盛り上がることはできなかった。けれど彼女と一緒に盛り下がることができた。

これですよ、これ!

独りで座っているだけでは絶対できないことなんだから。

だからと言って独りで『座っている』の基本スタイルを疎かにしてはならない。

常に基本に立ち返る、いや、座り返るのである。