沖縄県知事選と無関心。

銭湯で新聞をパラパラめくっていたのですが鹿野政直さんの記事を見つけ熟読してしまいました。

沖縄県知事選についての記事でした。

今回の選挙を過去の市長選と重ねながら沖縄についての本を紹介しています。

是非とも読んでほしい記事です。

「衝撃的な無関心」とつけられた最後の段は自分の胸に棘が突き刺さるようです。

一方で無関心や傍観者を肯定するそんな人物もいる。ナチ宣伝相ゲッベルスの秘書を務めたポムゼルである。彼女は言う、自分には何の罪もないと、そしてさらに言う。

「今日だって、人々はシリア難民のことを四六時中考えてはいない。故郷を追われて、海で溺れていく気の毒な人たちのことを、ずっと考えているわけではないでしょう?」「生きるとはそんなものだと私は思う」

確かにこれは記事中の評者が言うように真実を衝いているのかもしれない。

しかし、しかし、けれど、けれどと言わずにはいられない。

しかしとけれどの先の言葉や行動を考え続けたいと思います。

東京女子大学、紀愛子、海南チキンライス。

東京女子大学にて開催された学会へと行ってきました。

その日のテーマは『ナチ体制と障害者ー強制断種から「安楽死」までー』。

大学で講義を受けるなんて久しぶりのことです。さあ頑張るぞ、と張り切って行ったものの少し気まずい思いをすることに…。

その日の講演は外部からの方も受け付けていたのですがその参加者が非常に少なかった。

さらに2年生の必修授業でもあったようで教室内は満員御礼。場所は東京「女子」大学であるからして生徒に男子はおりません。男性は外部から来た方が自分を含めて3人ほどか…。というわけでなんとも居心地が悪かったのである。(男子はおりませんと書いたがこれは間違い、なぜなら女子校にはトランス男子もいたりするわけで、そういえばお茶の水女子大学は2020年度からトランスジェンダーの学生を受け入れることを決めましたね。)【参考】「トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた

話は戻りまして私はやっぱり居心地が悪かったのである。

けれども1時間半ほどの講義を真剣に受けた私です。

休み時間には教壇に立つ紀愛子先生に対してなんか質問してみたり。

紀愛子先生はとても親切に答えてくださいました。(研究者ってやっぱりスゴイよなぁ。自分にとって研究者は憧れでありアイドルでもあるのかも、なあんて改めて思ったり…)

自分と年が近かったというのもあるかもしれませんが、学生の時分に先生に質問するとかそんなことしたっけか。いやあんましなかった。なのでよく頑張ったと自分を褒めよう。

帰りは西荻窪駅前にある海南チキンライスのお店に行きました。人気店らしく満席です。自分からしたらいつもより少し奮発したお昼ごはんでしたが初めて食べる海南チキンライスはとても美味しかったです。

海南チキンライス 夢飯 オススメですよ!

大学へはまたこそこそ行けたらなと思います。西荻窪周辺もなんか色々あったのでそちらもまた行きたいなと思います。

『卒業式、実行』自分で書いたみた答辞

前回公演『卒業式、実行』で甲田先輩を演じることになった私は、実際に自分だったらどういう答辞を書くのか、一度は書くべき、ということで脚本とは全く別に自らの手で答辞を書いてみることとなりました。

その答辞をこちらのブログに載せたのですが…、

コチラです。

なぜかもう一つ書いていたようで…、途中までですが発見したので載せてみます。

本当にあっという間の3年間でした。このようなことを光陰矢のごとしと言うのでしょうか?卒業までにこんな表現も覚えてしまったようです。国府台高校に入学した頃のあの初々しい姿が今にも目に浮かびます。決して戻ることができないかけがえのない私たちのあのときあの時間。
右も左もわからなかった私たちは不安と希望を胸に抱いてこの国府台高校に入学しました。

「友だちできるかなあ?」

「クラブ入ろうかなあ?」

「勉強ついていけるかなあ?」

「恋人欲しいなあ。」

戸惑いと躊躇いで私たちは頭をいっぱいにしていたことだと思われます。

そんなふわふわもわもわしたことで頭をいっぱいにした私たちですが、ふと気づけば高校生活にどっぷりと浸かり一日一日を無我夢中で過ごしていました。

「友だちできたよ!」

「サッカー部入ったよ!」

「勉強は…やっぱりついていけないや」

「恋人には…ふられちゃった(シクシク)」

ああ、懐かしきわが青春。

ああ、恥ずかしきわが青春。

戻りたくてももう二度とは戻れない若葉の頃。

そうもう二度と戻ることはできないのです。

二度言いましょう。

もう二度と戻ることはできないのです。

あれっ?何この過去形。

私たちの青春ってもう終わっちゃったのかなあ?

ばかやろう!まだ始まっちゃいねぇよ。

そうなんです。私たちの青春はまだ始まってもいなかったのです。じゃあこの高校生活の3年間って何だったんだろうねぇ。さぁ、何だったんだろう…。

国府台さーん!今までありがとう!

そしてこの感謝は諸先輩方にも申さなければなりません。

上に述べた入りたてほやほやの私たちに道筋をつけてくれたのでありますから。いやそれは真っ赤な嘘でした。だってこの国府台高校では道筋なんてなかったんですから。真っ暗な闇の中を手探りでもがきながら私たちは進むしかなかったのです。手がかりは「自由」というその言葉だけでした。それだけがそこにあるのです。いや、「自主」とか「自律」とかも混ぜときましょう。カッコつけたところで実はよくわかんないんだから。あと「自律」って言ったけどこれ「自」分で「立」つって言う字じゃないからね。「自」分で「律」するって書くんだからね。

まあ、そんなことはどうでもいいとして(いやよくないよ!)実はよくわかんなかった、今でも掴みきれないようなそれらの言葉と格闘しながら私たちの日々は過ぎていったのであります。

だから先輩とか先生からは、もうあんたら適当にやってねって感じで具体的なご指導ご鞭撻とか言う堅いやつはあんまなかったのよ。これは先輩が仕切るから、それは先生が決めるからっていう独断をときには望みそうになる私たち。けれどそれって楽なんだけどあんまりおもしろくないんだわ。

私が、オレが、僕がってどんどん手を挙げさせてよ!

えっ?そうしたらみんなの意見が割れてなかなか一致しないし、決まるものも決まらない。鶴の一声とか長いものに巻かれちゃおうよ。ほんとめんどくさいなぁ〜。

なるほどなるほどその通り、私たちはめんどくさいのであります。

おっ、そこにいるのは後輩たちではないか!今言ったように私たちはめんどくさい。なのでこの国府台のめんどくさい性質を伝統として後世へと繋いでいってほしい、あなたたちにはその義務がある、私たちは高校のみならず人生の先輩なのだから後輩のあなたたちはこの命に従わなければならない、なあんて言うわけはないのである。卒業したらこんな高校なんて知らねーよ!ばーかばーか!って言う人もいるかもしれないよ。決して私が思っているわけではないよ、悪しからず。

あなたたちは私たちと同じように一寸先は崖下に真っ逆さまかもしれない道を暗中模索していけばいい。その先には一筋の光明が必ず見えているのだから、などという安易な解答が出るかと言えばまあほとんどが出ないよっていう話。

かく言う私もこの学校生活で具体的に何を得たのかさっぱりわからないのだ。あっ、一つ思い出したそれは友達だ。

子どもたちと。

夏のはじめに「学童保育」という新しい仕事を始めました。もともと教育に関する仕事には一度は就いてみたいと思っていたこともあり、また保育に対しても社会問題として大きく関心がありました。英国にはブレイディみかこさんというパンク保育士がおります。私はこの方の文章がとても好きでよく読んでいたことも影響しているのかもしれません。『ヨーロッパ・コーリング―地べたからのポリティカル・レポート』や『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』がおすすめです。

学校でもなく保育園や幼稚園でもない学童保育はなかなかに興味深いところであります。当初は夏の間だけの短期契約だったのですが人手不足からか続投を頼まれましてこちらも助かりますのでと続けることになりました。

そして今日の話です。みんなでおやつを食べていたら突然ある男の子が私に話しかけてきました。

「先生、テレビに出てなかった?」

‎どうやら先日出演した『天才てれびくんYOU』を見ていたようです。

‎「先生メガネ外してたよね。警察の服着てて恐い顔してから笑ってた。」

‎正確には警備員なのですがよく見ているな、そしてよく気づいたな、何も言ってなかったのに…。

‎「先生、うまかったよ!」

‎おー!?ありがとうー!!先生はこんなに嬉しいことはないですよ。本当にありがとう。

‎「先生、じゃあ今からヒミツキチつくるから先生キョジンだからモンバンやって!」

‎いいよいいよ!先生は警備員でも門番でも何でもやるよ!喜んで!

その後、門番が呼ばれることは一向になかったですが子どもと遊ぶのは楽しいものです。

‎おーいおーい、門番も呼んでくれよー、おーいおーい…。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第16回 高校の同級生と今を生きる2

最近は頗る調子が悪いかと思われます。
『卒業式、実行』では衣装を忘れることが度々ありました。
公演後は携帯電話を紛失するということがありました(幸運にも交番に届けられており無事に解決しましたが…。)。
直近ではトイレのドアを閉め忘れるという事件がありました。
図書館のトイレを使ったいたのですがカギの閉め忘れに気づかずドアを開けられてしまいました。
意外にも開けた方の方が驚いていたようで私は平然とうんちをしておりました。本当に申し訳なかったと思います。

さて先日は高校の同級生と一緒にシネマウント・フィルム・パーティーの定期上映会へと言って参りました。
私は開場する12時半から終映する17時45分までずっと会場にいました。定期上映会には今まで何回も足を運んでいますが最初から最後までいたのは初めてのことかもしれません。学生が創った小品とたくさんの小野映画を堪能しました。
高校の同級生ちかごんは14時過ぎ頃到着。自主映画を観るのは初めてだったと思うのですが結構楽しんでくれたようです。「ずっと好きなことを続けているってスゴイなあ」とまあ小野さんのことを感嘆しておりました。
もう一人の同級生おっしーが到着したのは終映10分前のことでした。遅刻常習犯の彼女のことなので遅れてくることは推察できましたがまさかここまで遅れてくるとは…。
以前に上映会に誘ったとき彼女は最後まで会場には姿を現しませんでした。不安になった私は終わってから何度も連絡しましたが繋がらず漸く翌日になって「寝てたゴメン」の連絡です。おっしーはそういうやつなのです。
帰り道、三人で今回観た映画の話をしようにも当然ながら一人だけ会話には全く入ってこれません。いやはや参った。
そのまま三人でご飯を食べに行くことになりました。

前回もそうだったのですが話はなかなか尽きないもので閉店間際までペチャクチャペチャクチャ喋っておりました。
ちかごんもおっしーもビールがとても好きでめちゃくちゃ飲みます。自分は普段はそこまでお酒を嗜む方ではないのですが嫌いではありません。前回に続いてまたたらふく飲んでしまった…。
会社で働くちかごんは絵を描くおっしーや舞台に立つ私を「輝いている」と評します。いやいや、ちかごんだって会社で重要なポジションを任されているし「輝いている」、いやいや自分は会社に依存しているだけだと話は平行線を辿ります。
ちかごんは高校の頃から本当に優秀で今でも「えっ、そんなことやってんの!?すごいなあ!!」ということをやっています。大変なこともあるのだろうけどこちらからは楽しそうに働いているように見えるし、ちかごんの仕事の話は総じておもしろい。
家に一枚高校の頃の写真が見つかりました。修学旅行にいったときの写真です。偶然にも三人が一緒に写っていました。
今とどう変わったのか。同じように写真を撮ってみようと思い立ちました。けれどおっしーがベロンベロンに酔っ払っていて「フュージョンしよう」とか言い出したため構図は変な感じになる。
まあ楽しく生きてますね。

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甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

『根こそぎ掘りデー』は今回で最終回になるかもしれませんしならないかもしれません。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第16回 高校の同級生と今を生きる。

先日『卒業式、実行』が無事に終わった。舞台には高校の同級生が多く駆けつけてくれた。観に来てくれた一人が個展を開いていると聞く。高校の同級生と会う機会はそう滅多にあるものではない。行くことにした。
おっしーとちかごん。個展を開くのがおっしーで一緒に訪れたのがちかごん、三人で集まった。開催地は原宿の小さなカフェ、絵本の読める喫茶店『SEE MORE GLASS』というところだ。原宿のとあるビルの地下に位置しており、こんなところにこんなカフェが…と思わせる。店内には絵本がぎっしりと並べられており手に取って読むことができる。おっしーは以前にもここで個展を開いている。どうやっておっしーが店主と知り合ったかはわからないがどうやら常連のようだ。
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おっしーは絵本が好きなのだと思う。今回の個展『猫とダイオウイカ』では飾られた絵の横に文章が添えられていた。猫とダイオウイカがフランス料理店を経営するというストーリー。おっしーが描く絵には猫が頻繁に登場するがダイオウイカは今回が初めてだった。その由を尋ねると、ある日掃除機に振り回される自分のその姿がまるでダイオウイカみたいだった、という出来事に着想を得たらしい。おっしーらしい発言だなと思った。
その日は個展の最終日で閉店後は三人で絵を片付けた。そしてそのまま皆でご飯を食べに行くことにした。
同級生と集まれば学生時代の昔話に花が咲く、というのが一般的な流れかと思われる。過去について語るのは私も好きだ。当然のように昔の話へ持っていこうとする自分がそこにはいる。けれどそんなことを考えているのはおそらく私だけで他の二人は違ったのかもしれない。そして私も学生時分の話題がうまくできないことに自分でも気づく。それもそのはずで私たちは特に仲が良かった三人組というわけではない。三人で遊んだ経験など今の今までなかった。だからなのか『過去』の話はほとんどといって出ない、というか出すことができない。話されるのは『今』なのだ。二人が話す今はとても輝いていた。
高校の頃、うまく友人関係を築けなかった私は今対等に人と向き合って関係を築こうとしている。私は過去に花を咲かせることはできないが結果的に今がきらめく人生を送ることができているのかもしれない。

「卒業生の言葉」大阪府立住吉高等学校3年8組甲田守

アガリスクエンターテイメント第25回公演『卒業式、実行』がただいまサンモールスタジオにて上演されております。
劇中では「卒業生の言葉」が読まれます。
自分も対抗して書いてみたのですがこれがなかなか難しい。
「卒業生の言葉」を読む人っていうのはまあまず学校のことが好きだったり楽しい思い出満載だったのだろうなあと思います。
けど学校には絶対辛い思い出満載の人もいるんだろうなあなんて思ったりもします。
自分はというと一時は学校を辞めようかと思い悩んだ時期があったけどまあ何とか卒業できたタイプといいましょうか…?
まあ辞めててもおかしくはなかったわけでして…。
だからかなあ?なんかカッコいいことは書けないですわ。
と言うわけで「卒業生の言葉」を書いてみました。
申し訳ございませんが今回の『根こそぎ掘りデー』はお休みとなります。

「卒業生の言葉」
本当にあっという間だったなあとそのように思います。この住吉高校に入ろうと思った頃、私は夢と希望に溢れておりました。スミコーは制服がないから私服で登校できる、髪だって染めることができる、ピアスなどの装飾品の類も自由に付けることができる、化粧だって好きなだけできる、そんなところに憧れてたのだと思います。けれど私が入学して行ったことといったら最初に述べた私服で登校ぐらいで染髪やピアスだったり化粧とかはなあんにもしませんでした。まあもとからそれがやりたかったわけでなくてなんかそういう「自由」っていうのに憧れてただけなのでしょう。私はスミコーに入学できて本当に嬉しくて入学式なんてウキウキしておりました。人生で初めて経験した「受験」が終わってなんかやりきった感がありました。中学は高校とは全く違ってそういう校則の面ですごく厳しくてとてもとても息苦しかったのもあります。先生は先生でめちゃくちゃ厳しかったし手が出ることも日常茶飯事でした。それに比べてスミコーの先生はまあ何も怒らない。遅刻しようが携帯ならそうがまあ怒られることはありませんでした。なんかわかんないですけど生徒が先生に信じられていたんでしょうね。あの関係はホント良かったなあと思います。中学と違ってそういう自由なスミコーライフを楽しむぞーと私はホントウキウキでした。けれどなんでだろう。思ったように楽しめない。3年間の高校生活でしたが私はなかなか学校を楽しむことができませんでした。この答辞を書くにあたっても「楽しかった」の言葉がなかなか書けなくて困りました。どうしようかと悩んだ挙句やっぱり正直に言ってみようと決めました。今までは小学校、中学校と厳しい校則などがあったりしましたが学校が楽しくないなんて思ったことは一度もありませんでした。けれど高校に入ってからは学校がなかなか楽しくならないのです。待ち望んでいたスミコーライフをエンジョイすることが一向にできないのです。高校へ入学してすぐに1年生が始まりました。私はウキウキです。なんのクラブに入ろうかなあと考えました。中学の頃はバスケ部に所属しておりました。練習はとても厳しくて辛いものでしたけれど楽しかったので3年生になって引退するまで続けることができました。高校は心機一転違うスポーツを始めてみようと思いサッカー部に入部しました。楽しみにしていたクラブ活動でしたがだんだんだんだんと楽しみ感ワクワク感はなくなり気づけば全く楽しくなくなっていました。どうやったら楽しくなるんだろうどうやったら楽しくなるんだろうとクラブ活動へ向かう道すがらウーンと唸りながら考える日々が続きます。けれどもどう考えても悩みは解消される日は訪れず、一年が経ったある日私はサッカー部を去っていきました。うーん、部活動はどうも楽しくならなかった。じゃあクラスの活動に目を向けてみよう。授業とか休み時間とかそういうことのほうが学校の大半を占めているわけだからこちらを楽しくしようと私は思い立ちました。さあ楽しくするぞーと最初の勢いはとてもあるのですがやっぱり部活動のときみたいにそれは最初だけで気づけばなんかおかしな道に迷い込んでいます。あれっ、どうやったら楽しくなるんだろうどうやったら楽しくなるんだろうと物思いに耽るばかりでやっぱり一向に楽しくなりません。2年生になった私はもう学校は楽しくないやと思い学校の世界を離れます。高校生になったんだしアルバイトだ、アルバイトを始めよう。そしてそっちで楽しくなろう。しかしやっぱり楽しくなりません。気づけば私はもう3年生になっておりました。私に残された高校生活はあと1年しかありません。2年生の終わりには楽しくもならないしもう学校を辞めようかと思い悩み両親と話し合うこともありました。けれど辞めるという選択肢を私は取りませんでした。それがなぜなのかはっきり言って私にも明確にはわかりません。勉強が好きだったかと言えばそうでもなく、成績も悪かったですし、まあなんとなく大学に進学したかったというそれだけの理由かもしれません。さて、そして残り1年の私の高校生活ですが結果的に言いますとこれがめちゃくちゃ楽しくなりました。なぜかというとそれは友だちができたからです。それだけのことかよって言う話なのですがそれだけのことに私は2年かかりました。なんで友だちができたのか、そして今までできなかったのかをよく考えるのですがはっきりした答えは今でもよくわからなかったりします。その友だちと3年生になって偶然出会って気が合ったからという面もあるのかもしれませんが1年生のときに出会ってたら友だちになれたかどうかはわかりません。私は人をバカにしていた、見下していたんじゃないかなあと今になってそう思います。対等な関係というのでしょうか、尊敬や尊重する関係というのでしょうか、私にはそんなものはありませんでした。私は誰も信じていませんでしたし誰にも信じられていませんでした。人と対等な関係を結ぶことができた私はそこからはどうやったら楽しくなるんだろうなんて思い悩むことはありません。やることなすことすべてがハッピーライフでした。学校で学んだこと、成長できたことなんてありきたりなことを言うのはあれですが、私はこの高校に通い友だちができて本当に良かったと思います。みなさん卒業おめでとうございます。そして私は私に卒業おめでとうと言いたいです。どうもありがとうございました。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第15回 鹿島ゆきこの好きなお店はおそらく四谷三丁目にある(定休日は月曜日)2

IMG_20180122_160419鹿島ゆきこの好きなモノ(コト)は何か?以前に本人に問うたときは返答に窮しておりました。
鹿島ゆきこは好きなモノ(コト)に限らず自分のことについて尋ねられると途端に口数が少なくなることがあります。私が尋ねるからかもしれませんが…。

鹿島ゆきこはプロレスを観に行くことが好きです。掘りデーの前日にもプロレスを観戦しに行きました。好きな選手はたくさんいます。中でもプロレスリングZERO1に所属する小幡優作選手のことが好きです。

鹿島ゆきこはばいきんまんが好きです。文房具や靴下などばいきんまんのキャラクターグッズを多く持ち揃えております。神戸や横浜にあるアンパンマンこどもミュージアム&モールにも訪れたことがあります。

今日は鹿島ゆきこの好きなばいきんまんに会いに行こうと思います。やってきたのは四谷三丁目にあるアンパンマンショップです。鹿島ゆきこもこんなところにあるとは知らなかったようでとても喜んでくれました…のはずだったのですが定休日で閉まっておりました。
本当に申し訳なかったと思います。
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鹿島ゆきことゆっくりと語り合うために荒木町にある喫茶店へと向かいます。
行き着いたのは『高品質珈琲と名曲 私の隠れ家』というお店です。
10人ほどしか入れないこぢんまりとしたお店です。
片隅にはレコードが置かれ本棚はびっしりです。IMG_20180122_160404.jpg
店主に薦められるがままにケーキとコーヒーを私たちは選びます。
お互いに違うものを注文し飲み比べ食べ比べです。
とても美味しかったです。
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鹿島ゆきこの苦手なモノ(コト)は何か?

鹿島ゆきこは英語が苦手です。学生時代にはテストの点数が低く学習塾に通っていました。

鹿島ゆきこはスイカが苦手です。シャリシャリとした食感が苦手です。キンキンに冷えたアイスが苦手です。

鹿島ゆきこは春巻きが好きです。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第15回 鹿島ゆきこの好きなお店はおそらく四谷三丁目にある(定休日は月曜日)

今、わたしは、四谷三丁目駅にいます。生憎の悪天候でとても寒いです。雪が降っております。
先週はインフルエンザにかかってしまいましてまだまだ病み上がりです。防寒対策をしっかり調えまして、今、わたしは、鹿島ゆきこさんを探しております。
2日前のことです、観劇三昧下北沢店の1周年記念イベントで鹿島さんとお会いしましてこの『根こそぎ掘りデー』にお誘いしました。
速攻で断られました…。
残念でした…。
それもそのはず、明日空いていますかというお誘いはあまりに急だったのです。
反省です…。
しかしですよ、昨日のことです、鹿島さんから連絡が入りました、明日だったら時間空けられるよとのことです。
やりました、やりましたよ、わたくしは。
喜びは横に置いときまして早速ですが掘りデーポイントを選定しなければなりません。
嬉しい返事ではございましたが想定外のことでありましたのでわたくしはすぐさまネットサーフィンです。
公園の好きなわたくしは井の頭公園もしくは石神井公園が真っ先に頭に浮かびました。ですが天気予報があまりよろしくないのであります。
とりあえず吉祥寺辺りに絞って雨でも雪でも楽しめる掘りデープレイスを探してみたのですがこちらも何とも決まらない。
うーん、困った…。
自分の行きたい場所を自由気ままに考えていたのですが、ここは少し発想を変えまして、鹿島さんの行きたそうなところを考えてみることにしました。
そして決まったのが、ここ、四谷三丁目であります。
吉と出るか凶と出るかわかりませんが第一掘りデーエリアに行ってみたいと思います。
本人には四谷三丁目駅に来てくださいと言っているだけで他の情報は一切知らせておりません。
もしかしたらこの雪の中プロレス技をかけられることになるのかもしれません。
そのため、今、わたくしは、受け身の練習をしております。
こうきたらこうだな、そしてこっちからこうきたらこうしてと…、いや、待てよ、受け身ばかりではどうもおもしろくない。こちらから仕掛けるのも悪くはないな…。
そうこうしているうちにあのちんちくりんとばったり出会ってしまいました。
今宵、この四谷三丁目で血を見るのはあなたかもしれませんよ、鹿島さん。
それでは根こそぎ掘りデー行って参ります。

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甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

 

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第14回 1年8組サッカー部の二人。

2017年の年末は高校の同級生ちょー君とともに彼の車で大阪へと帰省しました。
ちょー君とは高校1年のときに同じクラスに在籍しておりました。
そして学校の部活動も同じで二人ともがサッカー部に入部しました。
なのでちょー君と会えば必ずサッカー部での昔話に花が咲きます、と言いたいところではありますが、卒業してからというもの彼とは何度か顔を合わせておりますが、一度もそんな花が咲くことはありませんでした。意図的に私が咲かせなかったのです。
その理由は単純明快です。
ちょー君は引退するまでサッカー部に在籍しておりました。が対しまして私は1年の終わりにサッカー部を辞めてしまいました。そのために後ろめたさからか気まずさからか私からサッカー部の話題を持ち出すことは決してありませんでした。
しかし私は今回の帰省ドライブにあたり一つ心に決めておりました。これについて話そうと。
部を辞めたことなんて大した話ではないだろうとお思いになるかもしれませんが私にとってはこれは大きな挫折でした。
これを切り出すというのは自分の傷口を抉るようなものなのです。
部に限らず当時の自分は何に関しても途中で辞めるやつに対して冷ややかな目で見下しておりました。
それは中学でのバスケ部の経験からきているのだろうと思われます。
3年間やり遂げてしまった自分に対してまわりには結構な数の「途中で辞めるやつ」がいました。
そのような人たちを、根性無しだなあ、駄目な奴らだなあと自分は思っておりました。はっきりと見下しておりました。
そんな「根性無しな駄目な奴」に自分がなるなんてそのときはまさか思いもしませんでした。
高校に入って一年後、見下していたものに自分がなってしまったのです。
大きく転んだ私はそこから立ち上がるのに多くの時間を費やしました。
いや、今もって立ち上がれたのかどうか定かではありません。
そこから先ずっと転んで転んで転び続けているような気さえします。
ちょーくんとの対話は様々なことを思い起こさせてくれました。
先輩や練習メニュー、そして自分がサッカー部を辞めた理由について。
気づけば現在の思いを吐露しておりました。幾度となく頭では考えておりましたが言葉にして発する機会はありませんでした。
自分はまわりに比べてサッカーの技術が劣っていた、へたっぴだったのがとても苦しかったのです。それについて向上心がなかったわけではないのですがそれ以上にまわりに迷惑をかけていると思うことが何より辛かったのです。
同級生が先輩が自分にきつく当たったかと言えばそれはそうでもなかったと思います。
けれど私は内気で引っ込み思案な性格であります。練習でミスをすればどんどん縮こまっていくばかりでした。誰にも教えを請うことができませんでした。
16年経って漸く横に座るちょー君に聞くことができました。相談することができました。
「どうやったらボール遠くに蹴れるんやろ?」
時間はかかりましたが聞けて良かったなと思います。
転んでばかりの人生ですがそれも悪くないなとそう思います。
自分の場合、何事においてもとても時間がかかるのです、本当に。

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甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。