2017年の年末は高校の同級生ちょー君とともに彼の車で大阪へと帰省しました。
ちょー君とは高校1年のときに同じクラスに在籍しておりました。
そして学校の部活動も同じで二人ともがサッカー部に入部しました。
なのでちょー君と会えば必ずサッカー部での昔話に花が咲きます、と言いたいところではありますが、卒業してからというもの彼とは何度か顔を合わせておりますが、一度もそんな花が咲くことはありませんでした。意図的に私が咲かせなかったのです。
その理由は単純明快です。
ちょー君は引退するまでサッカー部に在籍しておりました。が対しまして私は1年の終わりにサッカー部を辞めてしまいました。そのために後ろめたさからか気まずさからか私からサッカー部の話題を持ち出すことは決してありませんでした。
しかし私は今回の帰省ドライブにあたり一つ心に決めておりました。これについて話そうと。
部を辞めたことなんて大した話ではないだろうとお思いになるかもしれませんが私にとってはこれは大きな挫折でした。
これを切り出すというのは自分の傷口を抉るようなものなのです。
部に限らず当時の自分は何に関しても途中で辞めるやつに対して冷ややかな目で見下しておりました。
それは中学でのバスケ部の経験からきているのだろうと思われます。
3年間やり遂げてしまった自分に対してまわりには結構な数の「途中で辞めるやつ」がいました。
そのような人たちを、根性無しだなあ、駄目な奴らだなあと自分は思っておりました。はっきりと見下しておりました。
そんな「根性無しな駄目な奴」に自分がなるなんてそのときはまさか思いもしませんでした。
高校に入って一年後、見下していたものに自分がなってしまったのです。
大きく転んだ私はそこから立ち上がるのに多くの時間を費やしました。
いや、今もって立ち上がれたのかどうか定かではありません。
そこから先ずっと転んで転んで転び続けているような気さえします。
ちょーくんとの対話は様々なことを思い起こさせてくれました。
先輩や練習メニュー、そして自分がサッカー部を辞めた理由について。
気づけば現在の思いを吐露しておりました。幾度となく頭では考えておりましたが言葉にして発する機会はありませんでした。
自分はまわりに比べてサッカーの技術が劣っていた、へたっぴだったのがとても苦しかったのです。それについて向上心がなかったわけではないのですがそれ以上にまわりに迷惑をかけていると思うことが何より辛かったのです。
同級生が先輩が自分にきつく当たったかと言えばそれはそうでもなかったと思います。
けれど私は内気で引っ込み思案な性格であります。練習でミスをすればどんどん縮こまっていくばかりでした。誰にも教えを請うことができませんでした。
16年経って漸く横に座るちょー君に聞くことができました。相談することができました。
「どうやったらボール遠くに蹴れるんやろ?」
時間はかかりましたが聞けて良かったなと思います。
転んでばかりの人生ですがそれも悪くないなとそう思います。
自分の場合、何事においてもとても時間がかかるのです、本当に。
甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?
休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。