甲田守の『根こそぎ掘りデー』第6回 同級生マサユキと。

先日は高校の同級生マサユキと久しぶりに会いました。どうやら大阪から東京へと遊びに来たようです。前日の夜に連絡が入りました。

『こうだ、明日の夜って空いてる?空いてたら飲みに行かん?』

高校の同級生は僕のことをもちろんのことながらネコソギとは呼ばず多くはこうだと呼びます。

前日連絡はマサユキにしたら早い方で基本的には当日に来ます。実にマサユキらしいです。

それでは行って来ます。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。



マサユキとは2年3年のときに同じクラスでした。当時はそこまで仲が良かったかというとどうなのでしょうか。3年の途中から浪人時代にかけてよく遊ぶようになったかなという印象です。

第一印象はあまりよろしくなかった…。1年のとき、クラスは違えど体育の授業は隣のクラスということで一緒に受けていたため目にすることはありました。ある日のこと、体育の授業が始まる前の休み時間に男子の何人かが前宙をしていました。僕はもちろんそんなことはできないですし輪にも入れないため皮肉な目で奴らを見ておりました。このクソ馬鹿どもが!アホちゃうか調子にのりやがって!

高校の時分、僕は病んでいた。

「高校のときって青春だったよねー!」「高校生にまた戻りたいよねー!」

はぁ?黙れこのクソ野郎どもがー!こちとら青春なんかこれっぽっちもなかったんじゃー!

なのでそのような話には全くもって賛同できない。

というのは言い過ぎで話は休憩時間の柔道場へと戻る。

それは突然の出来事だった。前宙に興じていたクソ野郎どもがザワザワと騒ぎ出したのである。

どうやら誰かがケガをしたようだ。僕の呪詛が効いてしまったのか。ハッハッハッ!

「大丈夫かマサユキー!」「これ早く病院行かなヤバイでー!」「先生呼ぼー!」

呪詛が効きすぎたのかマサユキなる人物は前歯が数本折れてしまったようだ。これからは呪詛を控えることにしよう。

1年の春、マサユキとの出会い編終了。続く。

3年の春、体育祭の季節。

堕ちるところまで堕ちたジュソソギこと甲田に復活の兆しが現れる。

1年2年と特に体育祭に深く関わってはいなかったのだが3年になり周りからの勧めで応援団に入ることになる。

応援団??ウチの高校では応援はダンスで行う。カッコいいダンスとカッコいい手作りの衣装。学年の縦割りで構成される応援団は3年にもなれば後輩からもてはやされる。

これでオレもクソ野郎どもの仲間入りってなわけか。ケッ!

そうは問屋が卸さない。お前がそんな一朝一夕で応援団に馴染めようか。ダンスをそう易々と覚えることができようか。キャリアがないお前には到底無理と言えよう。

黙々と練習、黙々と練習。応援団の練習は昼休みは学校の渡り廊下で夜は公園でと連日連夜行われる。

午後10時過ぎ、今日も練習が終わった。さて帰ることとしよう。

「こうだ!帰り道こっちやろ、一緒に帰ろや!」

来た。クソ野郎が。

一人で帰らせろや、このクソ野郎が。

ここで声をかけてきたのは後に甲田が加入することになるフットサルチーム『ONACK』のキャプテン、コロッケである。

10年後、このクソ野郎の結婚披露パーティーの司会を務めることになろうとは、このときの甲田は知る由もなかった。続く。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第5回 南台ハイツ死ね2 最後の来訪者

世田谷区民になりました。

大阪市平野区(0〜19歳)、千葉市稲毛区(19〜23歳)、東京都中野区(23〜32歳)、東京都世田谷区(32〜?歳)。

住む家が変わると何だか色々と自分も変わります。と思います。

自分でも信じられないことに今の引越した家には多くの人を招いております。暮らしてから未だ1ヶ月も経っていないにもかかわらずです。

稲毛区〜中野区で過ごした約12年もの間に家に人を呼べたことがありましょうか。全くないとは言いませんがその人数は合わせてもこの1ヶ月に及ぶかどうか。

相変わらず風呂はないですしみすぼらしい我が家です。が、変な自信がついたのです。かもしれません。

まずは引越しを手伝ってもらったのがやはり良かった。

大阪から千葉に引越してきたときは親元を離れる初めての一人暮らしだったわけですから部屋を決めたのも父と一緒にでした。けれど引越し作業は千葉の新居で一人で行ったように記憶しています。

そして大学を卒業してからの2度目の引越し。これが本当によろしくなかった。と、8年前の出来事を今更に反省です。

アガリスクエンターテイメントの方々や大学の友人知人にも一言も発さず、誰にも別れの挨拶なく独りで東京へと向かったのです。

引越しを手伝ってもらうのに8年かかりました。

本当のところ8年経っても何も変わらず当初は全ての工程を一人で行う予定でした。自動車免許は持っているもののペーパードライバーのため運転には自信がありません。なので台車を使って運ぶという荒技です。そこまで遠くはないので何往復かすればなんとかなるだろうと。

しかし難敵が現れた。冷蔵庫です。どうしても独りでは2階から降ろすことができない。困った。本当に困った。

そこで登場していただいたのがユキ劇団員。彼女を頼った。

17時過ぎ、ユキ劇団員が笹塚に到着。マエダ劇団員からもらったというオーバーオール姿。作業するにはうってつけの服装である。

コウダは独りで引越し作業中だったため遅れて笹塚で合流する。とりあえず駅前にある図書館へと予約していた本を取りに行く。もちろんユキ劇団員にも来てもらった。

本日の工程をユキ劇団員に説明する。

1.冷蔵庫を南台ハイツ202から降ろす。
2.冷蔵庫を新居まで台車を使って運ぶ(約30分の道のり)
3.冷蔵庫を新居の2階に上げる。

以上となります。

それでは早速南台ハイツに向かいましょうか。

笹塚から歩くこと10分、東京都中野区南台4-65-7南台ハイツに到着です。

ユキ劇団員は沢山の荷物を抱えていたため、一旦南台ハイツに荷物を置くことにしました。

さてこの冷蔵庫どう降ろしたらいいものか。

ユキ劇団員と作戦を練ります。

うーん…………。

試しに二人で持ち上げてみるがどうも上手くいかない。

一段ずつ着実に降ろすことにしました。

ドスン!ドスン!ドスン!ドスン!

降りるごとに南台ハイツに激しい音が響き渡ります。

降りるというかもうほぼ「落としている」という感覚です。

これをスーパーマリオのキャラクターから取ってドッスン方式と名付けましょう。

地上へと降ろしてふと階段を振り返るともう踏み板がボロボロ。ひびとか入ってるんだなこれが。

まあ取り壊しになるからいっか。いやいいのかこれで…。

新居に向かいましょう!

台車に載せてスーイスイ、これは大した作業ではありません。ただ道のりは30分と結構長い。

一人で運ぶとそこそこの時間を感じましたが今回はユキ劇団員と話しながらの道中だったのであっという間でした。

新居に到着。

またもドッスン方式でいくのか。しかし新居は南台ハイツと違って多くの方が住んでいる。いや、住んでいるいないの問題ではなく僕だけでもドッスン方式はまずいが…。

だが僕たちにはドッスン方式しか手はないのだ。

「落とす」とは違い、上げるときにはそこまでの負荷が階段にかかることはなかった。そうだ、ドッスンも上に戻るときはゆっくりではないか。

やりました。無事に冷蔵庫を運びきることができました。ユキ劇団員お疲れ様です。

作業が一段落しましたので新居にて休憩を取ることにしました。

ようやく座ることが出来ます。「座っている」はやはり落ち着くものです。そして体育座りに限ります。

ムムムッ!?しかしどうも収まりがよくない。なぜだ?普段とは違う気配を感じる。

ふと横を見ると私より遥かに熟達した「座っている」がそこにはいた。

足を開いて寛いでいやがる…。

お主、やるな!

ワシが長年かけて習得した「座っている」を一つ上の段階へと持っていきやがった。これではワシの立つ瀬がないではないかー。なので座る。

けれども座ってばかりもいられない。

緊急『根こそぎ掘りデー』スタートです。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。


「ユキちゃん、ホタル観にいこう。」