沖縄県知事選と無関心。

銭湯で新聞をパラパラめくっていたのですが鹿野政直さんの記事を見つけ熟読してしまいました。

沖縄県知事選についての記事でした。

今回の選挙を過去の市長選と重ねながら沖縄についての本を紹介しています。

是非とも読んでほしい記事です。

「衝撃的な無関心」とつけられた最後の段は自分の胸に棘が突き刺さるようです。

一方で無関心や傍観者を肯定するそんな人物もいる。ナチ宣伝相ゲッベルスの秘書を務めたポムゼルである。彼女は言う、自分には何の罪もないと、そしてさらに言う。

「今日だって、人々はシリア難民のことを四六時中考えてはいない。故郷を追われて、海で溺れていく気の毒な人たちのことを、ずっと考えているわけではないでしょう?」「生きるとはそんなものだと私は思う」

確かにこれは記事中の評者が言うように真実を衝いているのかもしれない。

しかし、しかし、けれど、けれどと言わずにはいられない。

しかしとけれどの先の言葉や行動を考え続けたいと思います。

東京女子大学、紀愛子、海南チキンライス。

東京女子大学にて開催された学会へと行ってきました。

その日のテーマは『ナチ体制と障害者ー強制断種から「安楽死」までー』。

大学で講義を受けるなんて久しぶりのことです。さあ頑張るぞ、と張り切って行ったものの少し気まずい思いをすることに…。

その日の講演は外部からの方も受け付けていたのですがその参加者が非常に少なかった。

さらに2年生の必修授業でもあったようで教室内は満員御礼。場所は東京「女子」大学であるからして生徒に男子はおりません。男性は外部から来た方が自分を含めて3人ほどか…。というわけでなんとも居心地が悪かったのである。(男子はおりませんと書いたがこれは間違い、なぜなら女子校にはトランス男子もいたりするわけで、そういえばお茶の水女子大学は2020年度からトランスジェンダーの学生を受け入れることを決めましたね。)【参考】「トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた

話は戻りまして私はやっぱり居心地が悪かったのである。

けれども1時間半ほどの講義を真剣に受けた私です。

休み時間には教壇に立つ紀愛子先生に対してなんか質問してみたり。

紀愛子先生はとても親切に答えてくださいました。(研究者ってやっぱりスゴイよなぁ。自分にとって研究者は憧れでありアイドルでもあるのかも、なあんて改めて思ったり…)

自分と年が近かったというのもあるかもしれませんが、学生の時分に先生に質問するとかそんなことしたっけか。いやあんましなかった。なのでよく頑張ったと自分を褒めよう。

帰りは西荻窪駅前にある海南チキンライスのお店に行きました。人気店らしく満席です。自分からしたらいつもより少し奮発したお昼ごはんでしたが初めて食べる海南チキンライスはとても美味しかったです。

海南チキンライス 夢飯 オススメですよ!

大学へはまたこそこそ行けたらなと思います。西荻窪周辺もなんか色々あったのでそちらもまた行きたいなと思います。

『卒業式、実行』自分で書いたみた答辞

前回公演『卒業式、実行』で甲田先輩を演じることになった私は、実際に自分だったらどういう答辞を書くのか、一度は書くべき、ということで脚本とは全く別に自らの手で答辞を書いてみることとなりました。

その答辞をこちらのブログに載せたのですが…、

コチラです。

なぜかもう一つ書いていたようで…、途中までですが発見したので載せてみます。

本当にあっという間の3年間でした。このようなことを光陰矢のごとしと言うのでしょうか?卒業までにこんな表現も覚えてしまったようです。国府台高校に入学した頃のあの初々しい姿が今にも目に浮かびます。決して戻ることができないかけがえのない私たちのあのときあの時間。
右も左もわからなかった私たちは不安と希望を胸に抱いてこの国府台高校に入学しました。

「友だちできるかなあ?」

「クラブ入ろうかなあ?」

「勉強ついていけるかなあ?」

「恋人欲しいなあ。」

戸惑いと躊躇いで私たちは頭をいっぱいにしていたことだと思われます。

そんなふわふわもわもわしたことで頭をいっぱいにした私たちですが、ふと気づけば高校生活にどっぷりと浸かり一日一日を無我夢中で過ごしていました。

「友だちできたよ!」

「サッカー部入ったよ!」

「勉強は…やっぱりついていけないや」

「恋人には…ふられちゃった(シクシク)」

ああ、懐かしきわが青春。

ああ、恥ずかしきわが青春。

戻りたくてももう二度とは戻れない若葉の頃。

そうもう二度と戻ることはできないのです。

二度言いましょう。

もう二度と戻ることはできないのです。

あれっ?何この過去形。

私たちの青春ってもう終わっちゃったのかなあ?

ばかやろう!まだ始まっちゃいねぇよ。

そうなんです。私たちの青春はまだ始まってもいなかったのです。じゃあこの高校生活の3年間って何だったんだろうねぇ。さぁ、何だったんだろう…。

国府台さーん!今までありがとう!

そしてこの感謝は諸先輩方にも申さなければなりません。

上に述べた入りたてほやほやの私たちに道筋をつけてくれたのでありますから。いやそれは真っ赤な嘘でした。だってこの国府台高校では道筋なんてなかったんですから。真っ暗な闇の中を手探りでもがきながら私たちは進むしかなかったのです。手がかりは「自由」というその言葉だけでした。それだけがそこにあるのです。いや、「自主」とか「自律」とかも混ぜときましょう。カッコつけたところで実はよくわかんないんだから。あと「自律」って言ったけどこれ「自」分で「立」つって言う字じゃないからね。「自」分で「律」するって書くんだからね。

まあ、そんなことはどうでもいいとして(いやよくないよ!)実はよくわかんなかった、今でも掴みきれないようなそれらの言葉と格闘しながら私たちの日々は過ぎていったのであります。

だから先輩とか先生からは、もうあんたら適当にやってねって感じで具体的なご指導ご鞭撻とか言う堅いやつはあんまなかったのよ。これは先輩が仕切るから、それは先生が決めるからっていう独断をときには望みそうになる私たち。けれどそれって楽なんだけどあんまりおもしろくないんだわ。

私が、オレが、僕がってどんどん手を挙げさせてよ!

えっ?そうしたらみんなの意見が割れてなかなか一致しないし、決まるものも決まらない。鶴の一声とか長いものに巻かれちゃおうよ。ほんとめんどくさいなぁ〜。

なるほどなるほどその通り、私たちはめんどくさいのであります。

おっ、そこにいるのは後輩たちではないか!今言ったように私たちはめんどくさい。なのでこの国府台のめんどくさい性質を伝統として後世へと繋いでいってほしい、あなたたちにはその義務がある、私たちは高校のみならず人生の先輩なのだから後輩のあなたたちはこの命に従わなければならない、なあんて言うわけはないのである。卒業したらこんな高校なんて知らねーよ!ばーかばーか!って言う人もいるかもしれないよ。決して私が思っているわけではないよ、悪しからず。

あなたたちは私たちと同じように一寸先は崖下に真っ逆さまかもしれない道を暗中模索していけばいい。その先には一筋の光明が必ず見えているのだから、などという安易な解答が出るかと言えばまあほとんどが出ないよっていう話。

かく言う私もこの学校生活で具体的に何を得たのかさっぱりわからないのだ。あっ、一つ思い出したそれは友達だ。

子どもたちと。

夏のはじめに「学童保育」という新しい仕事を始めました。もともと教育に関する仕事には一度は就いてみたいと思っていたこともあり、また保育に対しても社会問題として大きく関心がありました。英国にはブレイディみかこさんというパンク保育士がおります。私はこの方の文章がとても好きでよく読んでいたことも影響しているのかもしれません。『ヨーロッパ・コーリング―地べたからのポリティカル・レポート』や『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』がおすすめです。

学校でもなく保育園や幼稚園でもない学童保育はなかなかに興味深いところであります。当初は夏の間だけの短期契約だったのですが人手不足からか続投を頼まれましてこちらも助かりますのでと続けることになりました。

そして今日の話です。みんなでおやつを食べていたら突然ある男の子が私に話しかけてきました。

「先生、テレビに出てなかった?」

‎どうやら先日出演した『天才てれびくんYOU』を見ていたようです。

‎「先生メガネ外してたよね。警察の服着てて恐い顔してから笑ってた。」

‎正確には警備員なのですがよく見ているな、そしてよく気づいたな、何も言ってなかったのに…。

‎「先生、うまかったよ!」

‎おー!?ありがとうー!!先生はこんなに嬉しいことはないですよ。本当にありがとう。

‎「先生、じゃあ今からヒミツキチつくるから先生キョジンだからモンバンやって!」

‎いいよいいよ!先生は警備員でも門番でも何でもやるよ!喜んで!

その後、門番が呼ばれることは一向になかったですが子どもと遊ぶのは楽しいものです。

‎おーいおーい、門番も呼んでくれよー、おーいおーい…。

「卒業生の言葉」大阪府立住吉高等学校3年8組甲田守

アガリスクエンターテイメント第25回公演『卒業式、実行』がただいまサンモールスタジオにて上演されております。
劇中では「卒業生の言葉」が読まれます。
自分も対抗して書いてみたのですがこれがなかなか難しい。
「卒業生の言葉」を読む人っていうのはまあまず学校のことが好きだったり楽しい思い出満載だったのだろうなあと思います。
けど学校には絶対辛い思い出満載の人もいるんだろうなあなんて思ったりもします。
自分はというと一時は学校を辞めようかと思い悩んだ時期があったけどまあ何とか卒業できたタイプといいましょうか…?
まあ辞めててもおかしくはなかったわけでして…。
だからかなあ?なんかカッコいいことは書けないですわ。
と言うわけで「卒業生の言葉」を書いてみました。
申し訳ございませんが今回の『根こそぎ掘りデー』はお休みとなります。

「卒業生の言葉」
本当にあっという間だったなあとそのように思います。この住吉高校に入ろうと思った頃、私は夢と希望に溢れておりました。スミコーは制服がないから私服で登校できる、髪だって染めることができる、ピアスなどの装飾品の類も自由に付けることができる、化粧だって好きなだけできる、そんなところに憧れてたのだと思います。けれど私が入学して行ったことといったら最初に述べた私服で登校ぐらいで染髪やピアスだったり化粧とかはなあんにもしませんでした。まあもとからそれがやりたかったわけでなくてなんかそういう「自由」っていうのに憧れてただけなのでしょう。私はスミコーに入学できて本当に嬉しくて入学式なんてウキウキしておりました。人生で初めて経験した「受験」が終わってなんかやりきった感がありました。中学は高校とは全く違ってそういう校則の面ですごく厳しくてとてもとても息苦しかったのもあります。先生は先生でめちゃくちゃ厳しかったし手が出ることも日常茶飯事でした。それに比べてスミコーの先生はまあ何も怒らない。遅刻しようが携帯ならそうがまあ怒られることはありませんでした。なんかわかんないですけど生徒が先生に信じられていたんでしょうね。あの関係はホント良かったなあと思います。中学と違ってそういう自由なスミコーライフを楽しむぞーと私はホントウキウキでした。けれどなんでだろう。思ったように楽しめない。3年間の高校生活でしたが私はなかなか学校を楽しむことができませんでした。この答辞を書くにあたっても「楽しかった」の言葉がなかなか書けなくて困りました。どうしようかと悩んだ挙句やっぱり正直に言ってみようと決めました。今までは小学校、中学校と厳しい校則などがあったりしましたが学校が楽しくないなんて思ったことは一度もありませんでした。けれど高校に入ってからは学校がなかなか楽しくならないのです。待ち望んでいたスミコーライフをエンジョイすることが一向にできないのです。高校へ入学してすぐに1年生が始まりました。私はウキウキです。なんのクラブに入ろうかなあと考えました。中学の頃はバスケ部に所属しておりました。練習はとても厳しくて辛いものでしたけれど楽しかったので3年生になって引退するまで続けることができました。高校は心機一転違うスポーツを始めてみようと思いサッカー部に入部しました。楽しみにしていたクラブ活動でしたがだんだんだんだんと楽しみ感ワクワク感はなくなり気づけば全く楽しくなくなっていました。どうやったら楽しくなるんだろうどうやったら楽しくなるんだろうとクラブ活動へ向かう道すがらウーンと唸りながら考える日々が続きます。けれどもどう考えても悩みは解消される日は訪れず、一年が経ったある日私はサッカー部を去っていきました。うーん、部活動はどうも楽しくならなかった。じゃあクラスの活動に目を向けてみよう。授業とか休み時間とかそういうことのほうが学校の大半を占めているわけだからこちらを楽しくしようと私は思い立ちました。さあ楽しくするぞーと最初の勢いはとてもあるのですがやっぱり部活動のときみたいにそれは最初だけで気づけばなんかおかしな道に迷い込んでいます。あれっ、どうやったら楽しくなるんだろうどうやったら楽しくなるんだろうと物思いに耽るばかりでやっぱり一向に楽しくなりません。2年生になった私はもう学校は楽しくないやと思い学校の世界を離れます。高校生になったんだしアルバイトだ、アルバイトを始めよう。そしてそっちで楽しくなろう。しかしやっぱり楽しくなりません。気づけば私はもう3年生になっておりました。私に残された高校生活はあと1年しかありません。2年生の終わりには楽しくもならないしもう学校を辞めようかと思い悩み両親と話し合うこともありました。けれど辞めるという選択肢を私は取りませんでした。それがなぜなのかはっきり言って私にも明確にはわかりません。勉強が好きだったかと言えばそうでもなく、成績も悪かったですし、まあなんとなく大学に進学したかったというそれだけの理由かもしれません。さて、そして残り1年の私の高校生活ですが結果的に言いますとこれがめちゃくちゃ楽しくなりました。なぜかというとそれは友だちができたからです。それだけのことかよって言う話なのですがそれだけのことに私は2年かかりました。なんで友だちができたのか、そして今までできなかったのかをよく考えるのですがはっきりした答えは今でもよくわからなかったりします。その友だちと3年生になって偶然出会って気が合ったからという面もあるのかもしれませんが1年生のときに出会ってたら友だちになれたかどうかはわかりません。私は人をバカにしていた、見下していたんじゃないかなあと今になってそう思います。対等な関係というのでしょうか、尊敬や尊重する関係というのでしょうか、私にはそんなものはありませんでした。私は誰も信じていませんでしたし誰にも信じられていませんでした。人と対等な関係を結ぶことができた私はそこからはどうやったら楽しくなるんだろうなんて思い悩むことはありません。やることなすことすべてがハッピーライフでした。学校で学んだこと、成長できたことなんてありきたりなことを言うのはあれですが、私はこの高校に通い友だちができて本当に良かったと思います。みなさん卒業おめでとうございます。そして私は私に卒業おめでとうと言いたいです。どうもありがとうございました。

『新宿コントレックスVol.15』閉幕。

『新宿コントレックスVol.15』が無事に閉幕しまし

「今までで一番うけた」などの声が聞かれますが、今までは観に行く立場であったためか初めて出演した身としては実感に乏しいところであります。もちろん大いに盛り上がったのは間違いありません。出演者の力量のおかげであった。お客様のおかげでもあった。しかし、手前味噌ながら、うちのボスのプロデューサーっていうのかな?としてのその手腕が光りに光っていたということも書き記しておきたい。そしてアガリスクエンターテイメントが主催してきた「今まで」の経験と実績も加わって冒頭の声に繋がるわけです。その歴史は新参者の自分には想像することしかできません。

まだまだ色々な人を巻き込んでいくであろう『新宿コントレックス』です。この先もどうぞご期待ください。

観覧者としての歴史が自分の文章で残っておりました。ただの付録です。

【今日はアガリスクエンターテイメントが主催するコントライブ、新宿コントレックスVol.11を観に行ってきた。
多団体がオムニバス形式で行うコントライブ、持ち時間は約30分。
中でもアガリスクの作品はめちゃくちゃ面白かったし笑えた。自分はアガリスクのメンバーを皆知っているし好きだから贔屓目に観てしまうきらいがあるだろうがそれを差し引いても、いや差し引くことはできないかもしれないが、とても良かった。
上演前、予め役者に記入してもらったアンケートをMCの二人が読み上げる。
「最近のマイブームは?」
4人の役者の答えはおおよそこんな感じだった。
血液型診断の反証。
パズドラ。
ツイッター。
温野菜。
名前は伏せられたが誰がどれに当てはまるかわかってしまう。それほど自分はアガリスクの面々を知っているし好きなのである。
作家はそれぞれの持ち味を熟知しているし、役者の演じる姿は実に生き生きしていた。これぞアガリスクエンターテイメント、面目躍如たるものがあった。といっても自分は見巧者では決してないので当を得ていないことこの上ないかもしれない。近々追加公演が行われる。面白いか面白くないか、百聞は一見に如かず、ただただ観に行って欲しい。

写真は約2ヶ月前、新宿コントレックスVol.10と同日に開催されていた急性虫垂炎手術直後、某病院301号室。必死に生にしがみつく昨年ベストの自撮りだ。たかが盲腸、されど盲腸。せっかく治りかけていた傷も2ヶ月越しの今日の笑いでまた開くかもしれない。
ありがとうアガリスクよ。】

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四人の語らい。

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公演は無事に怪我なく終わりを迎えることができました。どうもありがとうございました。

さて翌日。私は兄の車に乗せられて父、母が暮らす西明石のニュー実家へと赴くこととなりました。もともとは大阪に住んでいたため引越したニューの方へは久方ぶりの訪問です。どれぐらい振りかと言うと父曰く守が来たのは約7年ぶりとのこと。本当に久しぶりの訪問、そして四人がこのように揃うのもいつ以来でしょうか。

母はこの日のために腕によりをかけて手料理を準備してくれていました。本当に美味しかったです。お母さん、ありがとう。家族四人での楽しいひとときはあっという間に過ぎていきます。ことは平穏に進み平和に終わりを迎えるかと思われた一家の団欒ですが、怪我なく無事に終わった公演に比べそう簡単には終わりを告げてくれないのが甲田家です。

一家の大黒柱とは古い言葉かも知れませんがその暴発です。父と母のケンカは以前から絶えないものではありましたが、やはり起こってしまったかと取り敢えずは呆然と立ち尽くす自分です。現在どちらが優勢なのでしょうか。少し冷静に眺めてみましょう。いや、そんなの判断するまでもない。圧倒的に父の優勢。あくまであくまで比喩ですが、ジャブ、ジャブ、アッパー、フック、フック、ストレート、ストレート、ストレート×1000。サンドバッグ状態の母を見ると涙が出てきます。物理的な暴力に走ることは父は一切ありませんが言葉の暴力が見るに聞くに堪えない。ふと気づくと横から兄の声が聞こえてくる。「マモルーー!止めてーーー!!」兄の生業は警察です。そんな兄でも手に負えないケンカとは一体どのようなものか。いやはや自分はどうしたらよいものか。止める手段はないものかとポケットを探ってみると笛が出てきた。そうです。芝居をご覧になった方はお分かりかと思いますがあの笛です。とりあえず吹いてみるか。

ピーーーーーッッ!!!!!

大音量が家中に響き渡ります。

あまりの音量に父も我に返りケンカは中断、流石の効果。よし、これで四人の語らいが始まるぞ、と思ったのも束の間、沸騰はそう簡単には収まりません。さすが瞬間湯沸かし器!とゆうてる場合じゃない。現実は芝居とは違います。笛の合図を無視されてはこっちはたまったものじゃありません。2度、3度と収まりきるまで何度となく吹きまくります。出演していなかった身ですが出演者より吹いたのではないか。

フー、なんとか落ち着いたとさ。コメディーどころかトラジェディーと行ったり来たり。もう二度と再演はしたくないですが、これからも繰り返し再演されることは間違いないでしょう。ご覧になりたい方は是非甲田家へ。心よりお待ちしております。

稽古。

元気にやっています。


2015年度サンモールスタジオ最優秀団体賞記念
アガリスクエンターテイメント第22回公演
『七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/笑の太字』
東京公演2016年8月31日(水)〜9月4日(日)
大阪公演2016年9月9日(金)〜9月11日(日)
脚本・演出:冨坂友

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ハンセン病。

ブログを作ってもらいまして本当にありがたくて申し訳ない話です。

 

いざ投稿するとテンション上がっちゃいまして何から書いていいのやら…。次回公演のことを書きたいところですがなかなか筆が進まず…。

 

先日、多磨全生園に行ってきた話をとてもしたい。

 

「みんなでディズニーランド行こう!」なんて話はしょっちゅう出ますが僕はなかなか乗り気にはならず、僕はいつかアガリスクの面子と一緒に全生園に行けたらなあなんて思います。

この遠足レポートについては後日改めて書きたいと思います。もちろん公演についても。

 

imageそしてみなさん選挙に行こう!