甲田守の『根こそぎ掘りデー』第2回 鴻陵生という蛮族がいる?(後編)

モリッシーを聴いています。
なんで洋楽なんて聴いているのだろう。「なんて」というところに自分の洋楽に対するスタンスが見えます。

高校の時分、国際教養科という特殊な学科に私は在籍していた。周りには洋楽にハマっている輩が其処彼処にいたものだ。英語が不得手だったはずの私がこのような国際を冠する、英語の授業に重きを置く科に進学するとは今振り返ってもはてなが浮かぶ。それはその高校の自由な校風に憧れたからかもしれない。さて、その授業内容がどのようなものだったかというと、まずは時間割を見れば英語英語英語と2/3は英語が占める、と言ったら言い過ぎかもしれないが言い過ぎじゃないかもしれない。日本語禁止、つまり英語だけで行われるそんな授業も存在した。最初の10分間はペンギンブックスのリーディングを各自が行い、その後に小さな紙が配られる。言語はもちろん英語でPlease answer the following   questions.とかそんなことが書かれてある。もちろん、なんのこっちゃ???となる。さらにT/Fとある。これが本当に最初は何を意味しているのか全く分からなかった。True or Falseの略で要は○か×かで答えなさいという正誤問題をやらされてた訳だ。当てられた際にはどうせ二択だしと適当に答えてみる。正解ならRight.となるが、もし間違っているようなら地獄のWhy do you think so?が来る。答えに理由なぞない。が流石に山勘とは言えない。山勘という意味の英語も知らない。そしてteacherとの気まずい時間が永遠のように流れるわけだ。

マアこんな話はどうでも良くて要は洋楽にはとんと疎いというただそれだけ。ブレイディみかこ著『いまモリッシーを聴くということ』から引用してモリッシーの話は終わります。それでは参りましょうか。甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです。

「モテと非モテ、リア充とオタク、人間と動物、クールとアンクール、ノーマルとアブノーマル、金持ちと貧乏人。これらの対立軸で、モリッシーは常に後者の側に立っていた。
一般的に前者より「下」だと見なされる後者の場所が彼の立脚点だ。これほど執拗に、一貫して「下」であることについて歌ってきた英国のポップ・スターは他にいない。
もはや「右」対「左」の時代ではない。「上」対「下」の時代だ。とわたしは昨年出た本に書いたのだったが、いま、ほんとうに世界が「上」と「下」の分裂を起こしているとすれば、その下側の声(貧乏な者、ダサい者、ダメな者、勝てない者、取り残された者)を代弁しているアーティストはどこにいるのだろう?
ポピュラー・ミュージックは、いつの間にか下側との親和性が非常に薄い音楽になってやしないだろうか。」


甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?

休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

コアラさんとの掘りデーは柴又帝釈天を抜けましてようやく川へと辿り着きます。そうです、これがかの有名な江戸川ですね。ここが東京都と千葉県の県境となっております。目指すところは千葉県立国府台高校であるからしてここを渡らなければ目的地には着きません。

川に一艘の船が浮かんでいるのが見えます。ここは『野菊の墓』で有名な矢切の渡しです。本日は船を使っての登校を試みようとそのように思っております。と、その前に江戸川の河川敷にてお昼休憩を取ることにしました。

コアラさんお手製の特製ちらし寿司です。彩り豊かですね。非常に美味でした。ではいざ船着き場の方へ。

少し見辛いですが注意書きがありました。片道大人200円と非常に安いです。時刻表はありませんので気長に待つことにしましょう。そして遂に乗船です。

写真を何枚か載せてみましたが、この気持ち良さは是非一度体験してほしいなと思います。最後の着岸の際は電動に切り替えますが、そこまでは船頭さんは手漕ぎです。風も強くてなかなかのスリルも味わうことができました。10〜15分ほどで向こう岸に着きます。東京から千葉へ渡ってまた東京に戻るというのが一般的な乗客ルートだそうですが(というのも船頭さん曰く千葉側にはなにもなく、いやなにもないわけではないんですが、野菊の墓文学碑とかありますし、ただ最寄り駅は遠い)私たちはそのまま千葉への道を進みます。

さて、ここから国府台高校の道のりはというと結構な距離がある。ただ、自分は、歩く、喋る、とても好き、なので苦にはならないのである。

船上からも見えていたタワーマンションが大分近づいてきました。本八幡の方角でしょうか。こちらには釣り人が何人かいらっしゃいます。江戸川は随分蛇行しておりますね。

国府台高校に到着しました。『野菊の墓』の聖地が矢切の渡しならば、ここ国府台高校は『ナイゲン』の聖地と言えるでしょう。京成線国府台駅からなら徒歩10〜15分ほどでしょうか。本日辿った京成金町線柴又駅からの聖地巡礼コースもお薦めですよ。所要時間は約2時間ですが。

ナイゲンとは…。

屁理屈シチュエーションコメディ劇団・アガリスクエンターテイメントが上演する、高校の文化祭の代表者会議を舞台にした会議コメディ。
メンバーの母校でもある千葉県立国府台高校に実在する会議をモデルにしている。
会議に不慣れな高校生が文化祭の発表内容について話し合い、1クラスを落選審査する泥仕合をコメディとして描きつつ、「自治」「話し合い」の意義を問う青春群像劇。

「アガリスクエンターテイメントが上演する」と入っているので少し古い定義かもしれませんね。

ナイゲンとは…。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第2回 鴻陵生という蛮族がいる?(中編)

引っ越し作業に追われています。というのも今現在住んでいるアパートが近く取り壊しの憂き目にあうからです。総戸数4戸の小さきわがアパートですが今や暮らしているのは私一人となりました。今やというかもうずっとですね。8年間暮らしたこの家ともとうとうお別れかと思うと寂しさもひとしおです。しかし、おちおちゆっくりもしていられない。住むところがなくなるというのは結構ハードな問題なのだ。転居先はどこにしようかと考えていた矢先、同じ職場で働くエバラさんが良き物件を見つけてくれたからこれはまたラッキーなことだった(「こりゃ、困った」「こりゃこりゃ、どうしたものか」とお経のようにぶつぶつ唱えておれば人間様がいつかは助けてくれるものですぞ、と悠然と構えている私は馬鹿か、はたまた…)。
エバラさんとは…。根こそぎ掘りデーには初登場ですがネコソギにとってこれほど重要なパーソンを今更かと思うほどで、大変遅きに失しました。エバラさんが見つけてくれた物件と申しましたが、事を正確に順に追っていきますと、エバラさんと昵懇の仲であるカンベさんにまずは話がいったそうな。これこれこういう貧乏な人が路頭に迷いそうなのでどうにかならないかねえ云々と。カンベさんという方はどうやらただ者ではなくなんとクリーニング屋の社長、近隣の不動産屋とも古くからの繋がりがあるというからこれ幸い、トントン拍子に話が進み格安の掘り出し物が 私のところに転がり込んで来たというわけだ。ただ、ここまでの経緯を当初は全く私の耳には入っておらず話は内々に進んでいたわけで、はじめの第一歩が「明日、〇〇不動産に来てください」とエバラさん伝いにきたからこりゃ驚いた。もちろんこの時点で社長との面識はありません。で、まあなんやかんやあってほぼ決まりそうな段階に現在来ております。内見等の詳しい話はまた後日にでも。
今は引っ越し準備の真っ最中ではございますが、とりあえず言えることとしては、以前より衣装合わせなどの際にネコソギの服はゴミだゴミだ、と口が酸っぱくなるぐらい劇団員の皆さんから罵られていたのですが、当のネコソギには、いつまで経ってもはてそうですかと柳に風、しかしいざことが及んでようやく気づいたネコソギくん、服どころかあなたの家にあるものは9割9分がゴミであったという真実に。遅かった、全てが遅かった…。

さてエバラさんについて話を戻しますと、本当に私はこのお方には良くしていただいておりまして、つい先日もご相伴にあずかりましてご自宅へお邪魔することに。「娘の友達のダンテが今イタリアから来ているの」。こんな感じで誘ってくださることはしばしばで、ご飯を自宅のアパート階段下へとそっと置いてくださることもしばしば、衣食住における食の部分を大きくエバラさんに依存しているわけであります。そして今回は住にまでいたる。しくしくしく…。残された衣についてですが、これは劇団関係に援助していただいております云々。なんてったって私の服はゴミだから、しくしく。
戻りまして食の話はダンテくんのお手製料理でございます。ペペロンチーノに生ハム、合わせるお酒はもちろんワインです。昼間っから私もついついお酒が進みまして、エバラさんも勧めるからとは人のせいにはできませんが、「自分は学生の頃にフレンチレストランでgarçonをやってまして…」と慣れないRの発音を痰をからませるがごとく調子に乗ればダンテもS’il vous plaitと来たからにはオープナーを手に持てコルクをポンともう一本。ダンテくん曰く、イタリアの人はワインを水のように飲む、というぐらいにワインが大好物。「水はオシッコしか出さないけどねえ、お酒からは色んなものが出てくる。それはクリエイティブなことだったり、はたまたロマンスだったりね。」との言は英語を解さない私の創造的翻訳が多分に加味されておりますがそこはどうかお許しいただきたい。お酒から出てきたクリエイティブな翻訳ということで。
昼餐はひどく盛り上がり後に控える劇団員との映画鑑賞の予定をついつい忘れそうになる程です。走って走って劇団員とは無事に合流するも当然のことながら会話はいつにも増して饒舌となり、そのままの酩酊状態で映画を鑑賞することとなる。しかし、それにも拘らず普段と変わらぬ様子を繕い大人しく鑑賞することができたのだ。我ながらあの日の自分を今もって改めて褒めたいと思います。文章を書くときは素面で参りましょうか、甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです!

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?
休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

お酒の失敗を犯すのは私なぞの常人にはどだい無理な話で、あっ、いや、そもそも無理な話で、しかしこれが蛮族となれば話は別だ(そして閣議決定の件は凡人どころか愚鈍と言える)。
さて前回から続く連れ合いコアラさんもまたお酒が大好きで根こそぎ掘りデーに出かけた後数日経たないうちに二人で飲みに行く機会を設けることとなった。『ピアニストという蛮族がいる』という中村紘子さんの著作を証明するかのようにこの日ともにしたピアニストはまさかまさかの蛮族と成り果ててしまったのである。
ちなみにこちらの著作に登場するピアニストはクラシックが主である。ここで本は変わりまして奥泉光著す『ビビビ・ビ・バップ』に目を通せば暴れ回るはフォギーなるジャズピアニスト。ジャンルは違えどピアニストであることに変わりはない。これまた「蛮族」なのか世界が危機に瀕しているにもかかわらず常に楽観的な彼女の姿勢は物語の最後まで揺らぐことはない、いや常に揺らぎっぱなしかな。ときは未来、アンドロイドは登場するわ架空空間は作り出されるわな世界でジャズピアニストでありつつ生計は音響設計士という職業で成り立たせている主人公フォギーがあれよあれよと大企業に巻き込まれ世界は破滅の一途を辿って行くのであった。語り手は猫のドルフィー。モダンジャズに造詣が深いものならば、ああエリック・ドルフィーが由来ね、と即座に頭に思い浮かべるのかもしれないが、私などの音楽的素養を持ち合わせていないバカたれにとってはなんのこっちゃとなるわけだが、それでも楽しめるエンターテイメント性溢れる一冊です、と今回もネコソギの推薦図書をここにあげておきましょう。
ジャズもクラシックも流れていない店内に代わりに響くはコアラさんによる罵声、根こそぎ掘りデーの内容に対する酷評の嵐に次ぐ嵐に次ぐ嵐に次ぐ嵐。店内での蛮行は敢えて略して(笹塚は十号坂を下った先を少し逸れるとその店はある、店主が言うように一見さんは入りにくい居酒屋かもしれないが駅からの帰り道に一杯と夜遅くまで常連さんが続々と訪れるそんなお店です。お酒は特に焼酎を豊富に取り揃えており試飲も可。ロックでもグラスになみなみと注いでくれる、しかしこれがいけなかったか…)。
帰り道を詳述しますと、コアラさん、店を飛び出すなり自宅とは異なるあさっての方角へと突然駆け出した。夜も更けてもう日も変わろうとしている頃でありましたのであさってというよりはあすの方が適切か。と冷静を装い耽っているのも私も相当にお酒の影響を受けているためか。追って即座に手を捕まえた。「おっ、なかなかチカラが強いねぇ」とコアラさん。いや、そうでもないんですが…(力比べはえなみTVに譲るとして、あっ、くじで引いて弾いてみたもヨロシクどうぞ)。ユキエナミよりはコアラさん、どうやら力がないようだ(コアラさん<コウダ=ユキエナミ)。引っ張って引っ張って家までは残すところわずか300メートル、ゴールは目前かとのそのとき、コアラのヒールが脱げた。仕方がなく靴を優先して拾いに行く甲田、と、その隙をついて一目散に再びあさってに向かうコアラ、それも奇声を発して(コアラって速いし奇声を発するんですね…)。蛮族を超えたのか最早それは狂人の域に達している。そう簡単に諦めるわけにはいかない、追え、追うんだー!捕獲が完了しピンポーンとインターフォンを鳴らす頃には当然ながら日を跨いでいる。ふぅ〜、一件落着、と思いきや目を離した隙に三度ダダダッと階段を駆け下りるコアラ。「待てー!コォォアラー!コォォラアー!しばくぞー!」と普段は温厚で定評のある私もそのときはついに怒声を発したのでありました。ガチャッとドアが開く音が耳を捉えパートナーが出てくる段となりようやく甲田も平静を取り戻します。あとは配偶者に任せて万事解決、飼育員は家へ帰ることに致しましょう。と、思い返して怒声を発している場合ではござらん、柴又から発しますの続きをば。

柴又駅に到着し、目指すは千葉県立国府台高等学校。こちらはいまだ東京都でございますからまだまだ道のりは長そうです。せめてもの思いで帝釈天まで歩を進めることと致しましょう。

甲田守の『根こそぎ掘りデー』第2回  鴻陵生という蛮族がいる?(前編)

幸田延という方をご存知でしょうか。読み方は「こうだのぶ」。姓の字は違えど音は同じだけあって感心が湧きます。実はこの方、日本で初めてのピアニスト。兄はなんと文学で名を馳せたかの有名な幸田露伴というから驚いた。驚いたと言っても著した作品はなんなのさ、と問われれば口ごもってしまうのでとりあえずは『五重塔』と言っておけばオールオッケー!そしてすっとこんな脇道へと逸れてみる。幸田露伴と言えばふと思い出すのが私の母と父が交際していた頃のエピソード。当時、父は母の実家にしばしば電話をかけた(30年以上も前のことなので当然個人が携帯電話など持っておりません)。すると母に代わって妹がよく電話にでたそうな。彼女が母へと電話を取り次ぐ際、口にする言葉は決まって、「露伴ちゃんから電話だよ〜。」と茶化しが入ったという…、まあ本当にどうでもいい話…。

さて話は冒頭に戻ってこのピアニストの幸田延さん。私が知るきっかけとなったのはある一冊の本との出会いでした。それが『ピアニストという蛮族がいる』という中村紘子さんの著作です。多くの方が何となくではありますが、ある程度の共通認識をピアニストに対してお持ちかと思われます。それはピアニストというのは幼少の頃から毎日何時間もピアノに向かい、血の滲むような鍛錬を重ねてようやくなれるそんな職業だと。著者はこれらピアニストをある種族に例えてこのように説きます。「時にこの私自身をも含めてこのピアニストという種族について、気取っていえば神話的感慨、社会的公正を期していうならば、洗練された現代の人間とはまこと異質な、言ってみれば古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と哄笑と共に催すことがある。」と。ある特定の職業(著者は種族に例えるが)それを指して蛮族と一括りに見做してしまうのはあまりに軽率で乱暴ではないか。著者のこのような姿勢にはのっけから反感を覚えるところがなかったとは言えない私であります。しかしどうだろう、ページを繰るうちに当初私が抱いていた反発は徐々に解かれ、ピアニストのお歴々の蛮族ぶりが明らかになるにつけ私の無知も顕になる次第で誠に恥ずかしかったことこの上ない。著者は過去のピアニスト各個人に対する該博な知識もさることながら、その筆致には魅せられるものがあります。頻繁に余談へと飛ぶところもこれまた読ませる面白さ。ホロヴィッツやラフマニノフ、日本においては先に述べた幸田延や久野久らが登場する。簡単な言葉になるがピアノ界の巨匠らの波瀾万丈な人生を垣間見れる珠玉の一冊だった。著者の中村紘子さんは残念ながら昨年鬼籍に入られました。しかし、良くも悪くも「蛮族」という種族はしぶとく強く絶滅することはありません。中村紘子先生を師と仰ぐものは、言葉は悪いですが、この世にまだまだウジャウジャと存在しているのもこれまた事実。だって蛮族なんだから。今回はそんな一人を連れ立って出かけたこの企画、それでは参りましょうか、甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです!

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?
休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

前置きが長くなりましたが、さてその中村紘子先生に師事していた一人というのが、現在偶然私と職場をともにするコアラさん。彼女はピアノの先生を本業にする傍ら、空いた時間を有効に使おうと考え、今の職場で私と出会ったわけであります。私はなぜ彼女を誘ったのか。同じ職場で同じ年齢なおかつ親しい間柄ということもありますが、その近くしくなれた理由というのが彼女が鴻陵生だっというのも大きく関係していると言えるでしょう。鴻陵生…。千葉県立国府台高校に通う生徒のことを「鴻陵生」と呼びます。その由来は以下の通り。

『国府台高校の生徒は「国府台生」とは呼ばれず、「鴻陵生(こうりょうせい)」と呼ばれる。また文化祭のことを「鴻陵祭(こうりょうさい)」とよんでいる。古くは「鴻の台」(「鴻之台」)と書かれることもあり、コウノトリにちなんだ地名伝説に由来すると言われる。この「鴻」に台地を意味する「陵」を組み合わせて「鴻陵」となった。』(Wikipediaより引用)

千葉県立国府台高校。アガリスクエンターテイメントを語る上で欠かすことのできない重要なキーワードの一つです。いや、最も重要とも言える。しかしやはり、その高校があったからこそのアガリスク、というよりはそこに通った人間がいたからこそのアガリスク、というように「人間」を出発点にして私は考えていきたい。アガリスクエンターテイメントとはそんな鴻陵生たちが主体となって立ち上げた団体です(時期的には卒業してからなので元鴻陵生たちがと言った方が正確かもしれませんね…)。アガリスクエンターテイメントの原点をほじくり返そうと当初は企図していたのですが、結果的にそう上手くはいかなかった。歴史というのは複雑なもので謙虚な姿勢で相対したとしても一筋縄では決していかないものなのだ。私は大学ではmajor in historyしていた人間であります。だから難しくも過去を学ぶのが滅法好きなのです。ここまで述べてしまっては今回の行き先をバラしているようなものですが、国府台高校への登校パターンにも色々あるのではないかと私はふと考えた。近隣からなら自転車で、遠方からなら京成線、松戸の方ならバスですか。しかし、私は鴻陵生ではありませんでしたし国府台高校を知ったのも大学に入ってからで旗揚げのルートではありません。国府台からのアガリスクではなく、アガリスクからの国府台でありましたから。くどくどと話し立てても仕方ありません。出発地へと向かいましょう。

ところで寅さんって知ってます?よもやここで冒頭の話題に戻るとは思いもしらなんだが、私を初めて寅さんを観に劇場へ連れて行ってくれたのがかの露伴ちゃんでした。大阪は阿倍野にある場末の映画館、昼間っから大人たちが酒を飲み交わす、そんな商店街の裏路地に位置していたように思うが記憶違いか。とうの昔に廃館となったその場所からふっと空を見上げれば天高く聳え立つのは、あべのハルカス…。そうここは阿倍野区なのだ。私は鴻陵生ではなかった、住高生だった。思い出した!私はこの阿倍野区にある大阪府立住吉高校に通っていたのだ!しかしそこは今回目指すべきところではないのでいつかのそのときまでそっと胸の内にしまっておこう。話は露伴ちゃんとの映画鑑賞へと後戻り。『男はつらいよ 寅次郎紅の花』、シリーズ48作目、それが寅さん最後の作品、渥美清さんの遺作になろうとはまさかまさかでした。露伴ちゃんと私はこの『男はつらいよ』が大好きで露伴ちゃんに至っては全巻ビデオボックスを購入するほどです。しかしその後すぐにDVDが主流に…。ああ悲しき露伴ちゃん、あのかさばるビデオ群はいったいいづこへ…。

柴又から発します。