甲田守の『根こそぎ掘りデー』第2回  鴻陵生という蛮族がいる?(前編)

幸田延という方をご存知でしょうか。読み方は「こうだのぶ」。姓の字は違えど音は同じだけあって感心が湧きます。実はこの方、日本で初めてのピアニスト。兄はなんと文学で名を馳せたかの有名な幸田露伴というから驚いた。驚いたと言っても著した作品はなんなのさ、と問われれば口ごもってしまうのでとりあえずは『五重塔』と言っておけばオールオッケー!そしてすっとこんな脇道へと逸れてみる。幸田露伴と言えばふと思い出すのが私の母と父が交際していた頃のエピソード。当時、父は母の実家にしばしば電話をかけた(30年以上も前のことなので当然個人が携帯電話など持っておりません)。すると母に代わって妹がよく電話にでたそうな。彼女が母へと電話を取り次ぐ際、口にする言葉は決まって、「露伴ちゃんから電話だよ〜。」と茶化しが入ったという…、まあ本当にどうでもいい話…。

さて話は冒頭に戻ってこのピアニストの幸田延さん。私が知るきっかけとなったのはある一冊の本との出会いでした。それが『ピアニストという蛮族がいる』という中村紘子さんの著作です。多くの方が何となくではありますが、ある程度の共通認識をピアニストに対してお持ちかと思われます。それはピアニストというのは幼少の頃から毎日何時間もピアノに向かい、血の滲むような鍛錬を重ねてようやくなれるそんな職業だと。著者はこれらピアニストをある種族に例えてこのように説きます。「時にこの私自身をも含めてこのピアニストという種族について、気取っていえば神話的感慨、社会的公正を期していうならば、洗練された現代の人間とはまこと異質な、言ってみれば古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と哄笑と共に催すことがある。」と。ある特定の職業(著者は種族に例えるが)それを指して蛮族と一括りに見做してしまうのはあまりに軽率で乱暴ではないか。著者のこのような姿勢にはのっけから反感を覚えるところがなかったとは言えない私であります。しかしどうだろう、ページを繰るうちに当初私が抱いていた反発は徐々に解かれ、ピアニストのお歴々の蛮族ぶりが明らかになるにつけ私の無知も顕になる次第で誠に恥ずかしかったことこの上ない。著者は過去のピアニスト各個人に対する該博な知識もさることながら、その筆致には魅せられるものがあります。頻繁に余談へと飛ぶところもこれまた読ませる面白さ。ホロヴィッツやラフマニノフ、日本においては先に述べた幸田延や久野久らが登場する。簡単な言葉になるがピアノ界の巨匠らの波瀾万丈な人生を垣間見れる珠玉の一冊だった。著者の中村紘子さんは残念ながら昨年鬼籍に入られました。しかし、良くも悪くも「蛮族」という種族はしぶとく強く絶滅することはありません。中村紘子先生を師と仰ぐものは、言葉は悪いですが、この世にまだまだウジャウジャと存在しているのもこれまた事実。だって蛮族なんだから。今回はそんな一人を連れ立って出かけたこの企画、それでは参りましょうか、甲田守の『根こそぎ掘りデー』スタートです!

甲田守の『根こそぎ掘りデー』とは…?
休日の行動スタイルが基本的に「座っている」で有名なネコソギこと甲田守がホリデーに誰かを誘っては「座っている」からの脱却を図るという、知的かつ高尚な難解プログラミング企画………ではなく単純に誰かを誘って遊びに出かけるという、ただそれだけの企画である。隔週月曜更新を予定。

前置きが長くなりましたが、さてその中村紘子先生に師事していた一人というのが、現在偶然私と職場をともにするコアラさん。彼女はピアノの先生を本業にする傍ら、空いた時間を有効に使おうと考え、今の職場で私と出会ったわけであります。私はなぜ彼女を誘ったのか。同じ職場で同じ年齢なおかつ親しい間柄ということもありますが、その近くしくなれた理由というのが彼女が鴻陵生だっというのも大きく関係していると言えるでしょう。鴻陵生…。千葉県立国府台高校に通う生徒のことを「鴻陵生」と呼びます。その由来は以下の通り。

『国府台高校の生徒は「国府台生」とは呼ばれず、「鴻陵生(こうりょうせい)」と呼ばれる。また文化祭のことを「鴻陵祭(こうりょうさい)」とよんでいる。古くは「鴻の台」(「鴻之台」)と書かれることもあり、コウノトリにちなんだ地名伝説に由来すると言われる。この「鴻」に台地を意味する「陵」を組み合わせて「鴻陵」となった。』(Wikipediaより引用)

千葉県立国府台高校。アガリスクエンターテイメントを語る上で欠かすことのできない重要なキーワードの一つです。いや、最も重要とも言える。しかしやはり、その高校があったからこそのアガリスク、というよりはそこに通った人間がいたからこそのアガリスク、というように「人間」を出発点にして私は考えていきたい。アガリスクエンターテイメントとはそんな鴻陵生たちが主体となって立ち上げた団体です(時期的には卒業してからなので元鴻陵生たちがと言った方が正確かもしれませんね…)。アガリスクエンターテイメントの原点をほじくり返そうと当初は企図していたのですが、結果的にそう上手くはいかなかった。歴史というのは複雑なもので謙虚な姿勢で相対したとしても一筋縄では決していかないものなのだ。私は大学ではmajor in historyしていた人間であります。だから難しくも過去を学ぶのが滅法好きなのです。ここまで述べてしまっては今回の行き先をバラしているようなものですが、国府台高校への登校パターンにも色々あるのではないかと私はふと考えた。近隣からなら自転車で、遠方からなら京成線、松戸の方ならバスですか。しかし、私は鴻陵生ではありませんでしたし国府台高校を知ったのも大学に入ってからで旗揚げのルートではありません。国府台からのアガリスクではなく、アガリスクからの国府台でありましたから。くどくどと話し立てても仕方ありません。出発地へと向かいましょう。

ところで寅さんって知ってます?よもやここで冒頭の話題に戻るとは思いもしらなんだが、私を初めて寅さんを観に劇場へ連れて行ってくれたのがかの露伴ちゃんでした。大阪は阿倍野にある場末の映画館、昼間っから大人たちが酒を飲み交わす、そんな商店街の裏路地に位置していたように思うが記憶違いか。とうの昔に廃館となったその場所からふっと空を見上げれば天高く聳え立つのは、あべのハルカス…。そうここは阿倍野区なのだ。私は鴻陵生ではなかった、住高生だった。思い出した!私はこの阿倍野区にある大阪府立住吉高校に通っていたのだ!しかしそこは今回目指すべきところではないのでいつかのそのときまでそっと胸の内にしまっておこう。話は露伴ちゃんとの映画鑑賞へと後戻り。『男はつらいよ 寅次郎紅の花』、シリーズ48作目、それが寅さん最後の作品、渥美清さんの遺作になろうとはまさかまさかでした。露伴ちゃんと私はこの『男はつらいよ』が大好きで露伴ちゃんに至っては全巻ビデオボックスを購入するほどです。しかしその後すぐにDVDが主流に…。ああ悲しき露伴ちゃん、あのかさばるビデオ群はいったいいづこへ…。

柴又から発します。

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